2011年10月13日木曜日

武術の聖地 少林寺

October 14, 2011. Written in Denfeng, China.

 武術の聖地 少林寺

 数日前から河南県登封市に滞在している。少林寺がある町だ。あれだけ有名だから、町中が観光地化しているのかと想像していたが、意外とそんなことはない。ごく普通の中国の田舎町であり、外国人がたくさん見かけられるわけでもないし、ユースホステルだって一つしかない。ところが、少林寺までのバスに乗ると(10分くらいの距離といったところか)物事は一遍する。そこはまさに観光地であり、人の数は北京とそれほど変わらない。しかし、それでも外国人の観光客は非常に少ない。いないわけではないが、10分おきに見かける程度だ。シーズンではないのかもしれないが、それでも驚いた。これだけ有名な少林寺なら、一年中世界中から人が来るものと想像していた。
 
 ホステルで出会ったイスラエル人の25歳の学生と、新婚旅行中のオランダ人カップルと一緒に少林寺を訪れた。少林寺が観光地化した以上、本物の武術がみたい者としては、少しがっかりする場所だった。30分おきに少林寺拳法達人の演武があるわけだが、それは武術でもなんでもなく、ただのショーだった。もちろん空手の演武にも多少のショー性は含まれている。試し割り(板や瓦などを割る種目)なんてまさにそうだ。日頃の稽古においてそんなことをまずしないし、そんなことをしたって何の証明にもならないと思う。ただし、迫力がある以上、見ている人を感動させる道具としては非常に有効だ。だが、少林寺拳法の演武はそれをはるかに超えたものだった。最後は観客数人を舞台に呼び出して、真似事をやらせて笑いを取ろうとしたほどだった。そんなものを見に、わざわざここまで来たわけではない。


 
 少林寺自体も、特に感じるものはなかった。空手をやっている身分としても、武術を愛するものとしても、ここに来ることを楽しみにしていたが、やはりここまで有名な場所になると本物ではなくなるし、昔あったはずの独特な魅力も、今となってはなくなっている。

 がっかりした状態で少林寺付近の山(少林寺景区と呼ばれる地)をゴンドラで昇った。相変わらず霧が凄く、遠くまで見ることは不可能だった。数百年前、彼らはこの辺りで修行していたのか‥。今となっては、空き缶や紙くずが大量に捨てられている魅力のない場所だが‥‥。中国人はとにかく何でもポイ捨てしてしまう。
 上に到着すると、あきらかに人々の数が減っていた。大抵の人は、少林寺だけを見て帰るのかもしれない。山の頂点まで来ると、しばらく景色を眺めて休んだ。たくさんの山に囲まれていた。空くまでも自然が作り出したものなのに、なぜか中国的に見える。
 さらに隣の山までの道があるらしく、イスラエル人と僕は昇ることにしたが、オランダ人カップルは二人とも高山病ぎみのため撤退した。ここからは二人の若者の冒険だ!
 ところが、歩き出して間もなく、大雨が降り出した。僕は構わず歩き続けようとしたが、イスラエルの彼が木の下で雨宿りしょうと言い出した。英語が僕よりもはるかに上手で、まるで西洋人のように振る舞う彼に、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「宗教を信じるのか?」と。
彼はすぐに自分のことを100%無宗教だと言った。
「イスラエルには、そういう人がたくさんいるのか?」
「いや、少数派だよ。小さい頃からインターネットをたくさんやったり、海外の映画をたくさん観たりして、そういう風に考えるようになったんだ」
「ご両親はそれについてどう思ってるの?」
「今でも俺の考え方を変えたがってるよ。宗教より科学の道を選ぶことにしたと言っても、親父がどっちかを選ばなくたっていいじゃんと言ってきかないんだ」
話して行くうちに、とてもユニークなイスラエル人と接してることがわかった。ヨーロッパや日本のような、宗教に大して基本的に自由を与えられる国において、無宗教であっても驚くことはない。だが、イスラエルのような、宗教が生活の基本とされる国において、あえて無宗教を選ぶとは、よっぽど自分でいろいろと考えたのに違いない。

 雨は一向に止まないので、とりあえず歩いてみないかと提案した。しばらく今まで昇ってきたのと同じような階段が続いたが、そこで突然階段がなくなり、山道が続いた。なんだろう、急に。とりあえず構わず昇り続けた。だが、上までいけば行くほど、道がどんどん険しくなっていく。人の気配もまるでない。
「この道、本当にあってるのか?」
「さあね、あの岩までいけば、さっきが見えるのかもしれない」
だが、その岩を昇ると、さっきにあるのが崖以外の何ものでもないことがわかった。ちょっとでも滑ってしまえば終わりだ。霧のおかげで下まで見えないのが唯一の救いだった。

 それでも昇り続けると、分かれ道まで出てきた。上に向かっている山道と、下に向かっている山道があった。しかし、そのどれをとっても崖に導かれるだけだった。かなり急で危ない道を昇ってきたので、来た道を戻るのは気が引けたが、仕方がなかった。危険なことをしていることを二人そろって理解していたが、それを楽しんでいるのもまた事実だった。これぞ本当の少林寺だ!

 どろだらけになりながらも、なんとか戻ってこられた。
「進入禁止。この先の道は危険です」という看板が見えたのは、すべてが終わってからだった。

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