2011年9月29日木曜日

Gedag op zijn Frans

September 29, 2011. Written in Seoul, South Korea

Gedag op zijn Frans

Zoals de Japanse lezer al te weten gekregen heeft, slaap ik sinds maandag in het appartement van een nieuwe vriend uit Noorwegen. Hij studeert hier, en ik ken hem via een Franse uitwisselingsstudent die ik op het afscheidsfeest van de behaarde Duitser heb ontmoet (zie "Een lange avond"). De laatste weken ben ik goed bevriend geraakt met deze Fransman en twee andere Franse vrienden van hem. We begonnen dan ook een beetje een groep te vormen, maar die groep zal nu een stuk kleiner worden. Ik vertrek morgen, en een van de Franse jongens vertrekt vandaag naar Hong Kong om daar voor een jaar op stage te gaan. Het is raar omdat het een beetje voelde als een groep die op zijn minst een half jaar samen zou zijn. Maar dankzij hun gezelschap, heb ik toch nog een leuke (lange) tijd gehad hier in Seoul. Gisterenavond kwamen de 3 Fransen hier (het appartement van de Noorweegse jongen) om een afscheidsdiner te houden. Ze hadden dan ook een goede rode wijn uit Frankrijk meegebracht om die met zijn allen op te drinken. We gingen eerst naar de supermarkt om daar ingredienten te kopen voor een echt Frans diner, maar uiteindelijk moesten we het doen met spaghetti.
"Jeez, they only have creepy Asian stuff!" zei een van de Franse jongens.
We moesten ook een stokbrood gaan halen bij de bakker. Het was een speciaal gezicht om een echte Fransman een baguette te zien kopen in Seoul.

Een simpel gerecht koken was met vijf man zo gebeurd. Er waren slechts vork en mes voor een persoon, dus de rest moest met stokjes eten. Het was een gezellig vrijgezellen diner van vijf jongens die zich nog steeds met trots gedragen als puber. Ik hoop dat ik ze de volgende keer allemaal weer kan zien in Hong Kong.

Ik vertrek trouwens morgen (30 september) naar China, dus dit wordt waarschijnlijk mijn laatste blog vanuit Seoul.

2011年9月28日水曜日

女王様指導

September 28, 2011. Written in Seoul, South Korea

女王様指導員

3週間くらい泊まったKim's Guesthouseを月曜日にチェックアウトして、中国に出発するまでの間、ノルウェイ人の友人宅で居候しています。広いしゃれたアパートで、いかにも大学生の部屋らしい雰囲気が漂っています。彼はもう一人のノルウェイ人と部屋をシェアしているのだが、二人とも僕並みの掃除嫌いで、飲み終わった缶ビールや食べ終わったお菓子袋が飾りのように部屋中に散らばっている。
リビングの床の上のカーペットに寝させてもらっているわけだが、固いのに不思議なほどに寝心地が良く、つい寝坊してしまうほどだ。

サッカー道場も、Kim's guesthouseと比べれば大分近いところにあり、歩いていける距離だ。というわけで、一昨日さっそく道場まで歩いて行ったが、あれこれと道に迷ってしまい、45分くらいかかってしまった。中に入ると、いつもと違う女性が中高生に指導をしていて、いつもの先生は椅子に座って笑いながらその光景を眺めている。
指導しているショートヘアーの女性は僕とだいたい同じ年に見えた。黒い半袖のTシャツを着ており、左腕の肩から手先までが入れ墨になっている。耳にはピースをいくつも開けており、黒くて小さいイヤリングがその格好にさらなる威圧感を与える。 日本なら、この女性はまず入門できないだろう。だが、韓国では指導まで任せられるようで、その指導の仕方も極めて特徴的なものだった。彼女は中高生たちにストレッチをやらせており、身体の硬い生徒の髪の毛を引きつかみながら脚を開かせて、彼らが悲鳴を上げると野球バットで尻を叩いていた。そして、痛そうに唸る中高生を見ては楽しそうに笑い、またさらに脚を開かせるのだった。着替えながらそんな光景を見ていると、少し不安になった。僕の身体の硬さを知っている人間であれば、その理由がわかるだろう。だが、さすがに大人をバットで叩いたりはしないだろう。ということでとりあえず後ろに並んでストレッチし始めたが、全体の中で一番身体の硬い僕を見た女王様指導員はすぐに僕のところにきて、韓国語で何かを聞いてきた。わけがわからずとも、とりあえず「押忍」と答えると、彼女は僕の背中の上に腰掛け、全体重をかけた。だが、それでも脚が大して開かないので、バットでお尻を何度か叩かれた。彼女がまた何かを聞いてきたので、再度「押忍」と答えると、笑いながら立ち上がった。
  その後のミットの蹴り込みといい、補強といい、どれも叩かれたり髪の毛をつかまれたりされながら行われた。ところが、厳しい雰囲気はなく、女王様指導員が始終笑っているし、中高生もみんな笑っている。内容もそこまできついものではなく、サークル的なものだった。
練習が終わると、コリアンモンスター(16歳の巨人韓国人)と二人でビックミットのスタミナ稽古を行った。久しぶりだったので多少きつかったが、やっぱり身体を動かすのは気持ちがいい!
帰る少し前に、英語がよく話せるバイク乗りの先輩が現れた。彼に女王様指導員のことを聞いた。なんと、以前は韓国女子サッカーのプロ選手だったらしい。空手は初段で、年数も僕とほぼ同じらしい。ということは、同期にバットで尻を叩かれたというわけか。まあ、何事も経験、とでも言いましょう!

2011年9月27日火曜日

ぶっとんだ週末と嬉しい月曜日の朝

 September 28, 2011. Written in Seoul, South Korea.  

  ぶっとんだ週末と嬉しい月曜日の朝


金曜日に、日本の友人がソウルに遊びに来た。別に僕に会うために来たのではなく、仕事仲間と一緒に3連休を利用してどこかに出かけたかっただけとのことだ。僕が旅立つ前、彼に会ったときにそのことを聞いたのを覚えている。「9月23日か、そのときはもうとっくに中国さ!」とそのときに答えたのが、今では皮肉以外の何でもない。
金曜日の午後に明洞で二人に会い、明洞餃子を食べた。

次に会えるのは1年後か、それよりもさっきかと思っていた彼と遊んでいると、なおさら世界一周している気分がしなくなった。もっと長く一緒に遊びたかったが、空手へ行く時間になったので、二人とまた翌日会う約束をして別れた。

空手は相変わらず、縄跳びとサッカーから成り立つもので、空手らしいことなど一切なかった。今回は二人でチームを組んで、交代交代に縄跳びを行い、さっきに5000回できたチームが勝ち、という練習だった。ビリになれば補強という罰が待っている。僕のことを「ブラザー!」と呼ぶチームメートは、 ビリになりたくないらしく、遅い僕になるべく出番を与えず、早いリズムでひたすら一人でジャンプしていた。ところが、それでも負けそうになると、隣の人にいたずらして、その間にできるだけたくさんの回数をこなしていた。結果として、なんとかビリにならないですんだが、それは僕の活躍とはまるで無関係だったし、フェアな勝ち方でもなかった。

練習が終わると、みんなでフライドチキンを食べることになっていて、デリバリーを頼んだ。女性の先生も含めて、道場生はあまりしゃべることもなく、ただひたすらガツガツと食べ続けた。他人への思いやりなどなく、早く食った方が勝ちだ、という主義らしい。


終電に乗って帰宅し、1時少し前に戻ってきた。その朝ゲストハウスで出会った長身のタイ人がゲストハウス前のコンビニのテーブル(こっちのコンビニには座るところがある)にもう一人の韓国人と座ってビールを飲んでいた。こんばんは、と声をかけると、椅子を勧められ、中々断れず、腰かけた。一緒に座っていた韓国人は、コンビニの店員であることに気がついた。愛想の悪い店員、というのが唯一の印象だった。だが、今は愛想が悪いどころか、やけに絡んでくる。ものすごく酔っぱらっていることは一目瞭然だ。タイ人も少し酔っぱらってはいるが、コンビニの店員に比べたらましだ。彼は一時期タイではムエタイの選手をやっていたらしく、タイに来たらいろんなところを紹介するよと言った。ムエタイのことを聞いたコンビニの店員は自分も格闘家だと得意そうに話し、いろんな武勇伝を語り始めた。いうまでもないが、そのどれも信憑性に欠けていたが、聞いている分には面白かった。お前のローキックの強さを確認してやろう、と言って店員は立ち上がり、どうぞ蹴ってくれといわんばかりに構えた。何度も断ったが、本当に蹴ってほしいらしく、とりあえず軽く蹴ってみた。そうすると、店員がわけのわからない数値を出した。「そうだな、お前の蹴りは30.5あたりかな」と。そろそろこの酔っぱらいぶりに飽きてきたので、タイミングを見計らって帰ったが、それでもゲストハウスに戻ったとき、時計は2時半すぎを指していた。

寝る前に、少しパソコンをやろうと思い、フェースブックを開くと、道場のバイク乗りの先輩からのメッセージが来ていた。
「今から、バイクに乗らないか?」と。
やれやれ、どうやら今日は自由時間を与えられないらしい。
彼はゲストハウスまで来てくれて、グローブにジャンパーを貸してくれた。そして、二人で気持ちの良い夜のドライブに出かけた。

前回バイクに乗ったときとは違って、夜の道路は空いており、川沿いに結構なスピードで走った。通りすがりのバーガーキングで食事し、せっかくだからプルコギバーガーを頼んでみたが、あまり美味しくはなかった。また同じ道乗りでバイクを走り、6時すぎに帰宅した。

翌朝、13時前にはっと目を覚ますと、無料で食べられる朝のパンを口にもせずに出かけた。14時から空手の練習があるからだ。前夜一緒にドライブした先輩と二人だけの練習だから、そんなに時間にぴったりに来ないといけないわけではないけれど、あまり待たせすぎるのもよくない。道場の最寄り駅からダッシュして、2時10分頃に道場についた。先輩はもう着いていたが、まだ着替えてはいない。パソコンの前に座っており、写真らしきものを見ている。
「ちょっと見てみて」と声をかけられ、彼が料理の写真を見ていることがわかった。
「これは全部、俺が作ったものなんだ」
ハート型のおにぎりから、甘そうなチーズケーキまでいろんな写真があり、この男は本当にバイク趣味の空手家なのかと、一瞬 混乱した。だが、それはもちろん偏見で、格好いい男だからといって料理をしてはいけないわけではない。
  しかし、それにしても、急ぐ必要はまるでなかったようだ。先輩は呑気に料理の写真を見せたりおしゃべりをしたりし、15時ちょっと前に漸く練習を始めようと言った。その練習も、あまりきついものではなく、あっさりと終わってしまい、3時半くらいにはもう道場を後にしていた。一緒に昼食を取り(これもまたハンバーガー)、しゃれた喫茶店でコーヒーを飲んだ。
7時に日本人の友人と江南(ガンナム)駅で待ち合わせをしていたので、そこまでバイクで送ってもらった。二人はもう待ち合わせ場所にいて、さっそく3人で街を歩き出した。

江南は栄えており、たくさんの若者が行き交っていた。夕方はまだ地面にあまりごみが落ちていないが、遅くなるに連れてその量が明らかに増えていき、11時すぎにはゴミ捨て場並みの量に達する。
最初は鶏肉の店に入り、サムゲタンを食べた。韓国に約一ヶ月滞在しているが、食べたのは初めてだった。
またしばらく街を歩いてから、もう一軒の店に入ることにした。今度は貝や海の幸のバーベキューで、とても美味しかった。

ビールを飲んでいる二人は少しずつ酔っぱらってしまい、最後の方は大声でめちゃくちゃな韓国語を言いふらし、周りの韓国人を呆れさせていた。

  長い一日の後、電車で帰宅しょうとすると、改札の前で駅員に止められた。友人が宿泊している駅までは乗り換えできるが、僕はもう終電を逃してしまったらしい。改札前で二人と別れ、とりあえずネットカフェに入った。最悪の場合はネットカフェで朝を待つしかない。ところが、ゲストハウス関係で知り合ったフランス人の留学生が隣のヨックサム駅の友人宅で遊んでいることを知り、よかったらきてくれと誘われた。場所を詳しく教えてもらい、ネットカフェを出てとりあえずヨックサム駅に向かって歩き出した。そこまで行くのは簡単だったが、そこからフランス人の友人宅にたどり着くまでには1時間くらいかかってしまった。教えてもらったとおりに進むと、何回やっても行き止まりの道に出てしまう。それでも通過する韓国人から無理やり道を聞き出し、なんとか到着した。ドアを開けたのは背の低い、優しそうな金髪男だった。ノルウェイ人の留学生で、1年間ソウルに滞在している。以前には日本人の恋人がいたらしく、1ヶ月くらい東京で暮らしたこともあるらしい。東京のどこかと聞くと、なんと僕が長年住んだ調布市だったので、すぐにお互いに親しくなった。年も一緒だし、性格的にも親近感の湧く男だった。
「よかったら中国へ行くまで、ここに泊まっててもいいんだよ」とまで言ってもらい、ゲストハウスにパスポートが届いたらそうさえてもらうかもしれないと答えた。

4時すぎに電気を消して、同じ部屋で泊まることになったフランス人と中国についていろんな話をして、5時になってもまだ眠ることができず、翌日起きたのは14時半だった。とりあえず家のすぐ近くのラーメン屋で博多ラーメンを食べて、少しゆっくりした。
一同は午後、他の留学生や韓国人学生とボウリングする約束をしていたらしく、僕も一緒に誘われた。ゲストハウスに戻る体力もまだないし、とりあえず彼らについていくことにした。ボウリング自体は、それほど面白くもなかったが、この男たちとはやけに気が合った。二人のフランス人とノルウェイ人と和風オランダ人のこの4人組は、まるで昔からの仲良しグループのようだった。フランス人の一人は僕と同様、韓国に遊びにきただけで、留学生ではない。彼は木曜日から香港で1年間を過ごす予定で、また香港でみんなで会おう、という話になった。韓国に長居して、少なくとも新しい友達ができてよかった。
ボウリング後、4人で食事し、楽しい夜を過ごした。11時くらいに電車に乗って別れた。こんなに早く時間が過ぎたのも久しぶりだった。

その夜、約二日ぶりにゲストハウスに戻ってくると、ほぼ満室になっており、僕のまだ知らないゲストもたくさんいた。だが、北朝鮮研究家のポーランド人はまだいて、僕のことを心配してくれていたようだ。
「君を見たのは、木曜日の夜以来だ。いったい何をしていたんだ?」

その日は疲れていたせいか、ぐっすりと眠った。そして翌朝、ゲストハウスの支配人に起こされた。
「君宛の郵便物が届いたよ」
眠気が一気に取れ、興奮した調子で郵便物を開けた。中に入っていたのは、中国ビザ付きのパスポートだった。これで漸く旅が続けられる!さらばよ、韓国!

2011年9月23日金曜日

Mr.Bean goes DMZ!

 September 23, 2011. Written in Seoul, South Korea.

Mr.Bean goes DMZ!

When I first heard that it was possible to visit the border of South and North Korea, I felt that it was one of the few touristic things that I really looked forward to do. However, it is forbidden to go their on your own. You must have a tour guide with you. That kind of made me lose my interest, since I enjoy exploring on my own a lot more. And above of that, I found out that you need a passport to go. Since I don't have my passport at the moment, I had to give up on going there.

But, when I came back to the guesthouse two days ago, the Chinese Malaysian girl Y had been so kind to inform if it was possible to somehow go there without a passport, and was told that a passport copy would be enough.
The next morning, the two of us joined a tour to the DMZ (demilitarized zone).
I had borrowed a pair of blue trousers from a Polish guy, since jeans were supposed to be forbidden to wear. Already in the bus, however, I noticed that many people were wearing jeans, so the rules have probably gotten less strict these days.

Y had heard about my visa, camera and computer troubles, but denied it when I said that I had had a lot of bad luck, and preferred to call me just plain clumsy.  So, that day, whenever I would do slip on a stone or bump into someone, she would call me Mr. Bean. Now, as long as she is comparing me to him because of my clumsiness I don't mind, but I hope she wasn't referring to his looks.

On the way to the border, I saw a traffic sign saying "Pyeongyong" on the high-way, which made me feel how ridiculously close North Korea is from Seoul. In fact, it takes only 40 minutes by car to get to the border. The bed-towns on this side of Seoul seem to be much cheaper than the ones of the other side, because there used to be rumors that of North-Korean bombs being placed in some of the apartments. But nowadays, it seems that people aren't really afraid to get close to the border. As a matter of fact, there are factories of Hyundai and LG on just a few kilometers distance from the border.

To be honest, there is not much to be seen at the DMZ. But it is probably a place were you go to feel something, rather than see. For example, the sadness of the station of Dorasan(都羅山)that has the rail-roads ready to connect the two countries without any trains departing has a very sad atmosphere.






















At the observatory platform, you can actually have a view at North-Korea. Apart from a huge flag of the country and some apartments, there isn't really anything to see, but just the thought that you are looking at a forbidden country make it a place worth to visit at least once. When I used the binoculars, I could actually see people walking around.  I tried to take a picture from the observing platform, but a South-Korean military employee immediately stopped me from doing so and took the camera out of my hands to delete the pictures. Boy, was I glad that he didn't pick in my camera, since I had just gotten it back from the repair store the day before.

















We also went into one of the underground tunnels that the North-Koreans dug in order to be able to make a quick attack on South-Korea, which was discovered in the 70's. It was quite a long tunnel, and the furthest point you could get to was only 170 meters away from North-Korean territory!  The ceiling was very low, and Mr.Bean would hit his head several times, causing Y to laugh at him.






















On the way back in the bus, I noticed that I was now very curious about this forbidden, mysterious communist country. The Polish guy that had borrowed me his trousers is a researcher on North-Korea, and has actually been to the country for two weeks. It was fascinating to hear all of his stories, and after that actually be able to take a peak on the country.

2011年9月21日水曜日

韓国の試合

 September 20, 2011. Written in Seoul, South Korea. 

韓国の試合 

釜山でお世話になった道場の門下生が大会のためにソウルにやってきた。そんな彼らが僕を誘ってくれたので応援に行ってきた。もうあれから3週間くらい経つのかと思うと早いものだ。あれは韓国について間もないときだった。まだわけのわからない異邦の国において、ユン先生をはじめ、門下生のみなさんがとても良くしてくれた。

ソウル郊外のとある区民体育館に着くと、釜山の門下生一同がすぐに声をかけてくれた。もう会えない人たちだと思っていただけに、再会できた感動が大きかった。今回初めて会った人も数人いた。その中から、試合に出た二人といろいろな話をした。二人は少し日本語が話せて、ときには言葉を探しながら一生懸命に語ってくれた。
  釜山道場からの出場者は全部で4人だったが、一人が4位入賞、もう3人は一回戦・二回戦敗退だった。勝てなかった門下生に対して、ユン先生は苦笑しながら腹立たしそうにしていた。それだけ、弟子に対する期待が大きかったのだろう。僕自身もまるで自分と同じ道場の選手を応援している気分で、彼らが勝てば素直に喜び、負ければ悔しい気持ちになった。

一応とある組織の全韓国大会だったようだが、レベルは日本の交流試合並みだったと思う。だが、元気な若者がたくさんいて、今の日本の極真にはないような、将来に対する期待が感じられた。それに、強い選手がいないわけではなかった。特に目立ったのは、バランスの取れた落ち着いた組手をする選手だった。身体は決して大きくないし、武器も特にこれといったものはないが、クレバーな組手に思わず魅了された。うまい体さばきで相手の技を外し、相手の弱点を探し出してはそこを徹底的に攻め込む。僕の予想通り、その選手が優勝した。


それはそうと、大会が終了すると、釜山道場の門下生と一緒に体育館を出、一緒に駅に向かった。歩きながら携帯電話でユン先生の試合動画を見せてもらい、僕は代わりに自分の先生の試合を見せた。電車の中ではユン先生と組手について話した。3週間前、釜山で一緒に組手できたことが、お互いにとても良い経験となったようだった。また次に手合わせできる日が楽しみだ、とも話し合った。

















彼らがまたバスで釜山に帰るので、その駅まで見送ると、最後にみんなで食事することになった。
「ラインくんはもうすぐ中国へ行くから、中華料理にしょう!」と彼らが言ってくれた。ビールを少し飲みながら、楽しい食事会が続いた。今後いつ彼らに会えるだろう、と思いながら笑顔で彼らの食べっぷりを眺めた。最後は食事代までおごってもらって、申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、本当に素敵な人たちに出会ったものだな、と改めて思った。僕の旅の始まりを象徴するユン先生と釜山道場の門下生をこれからもずっと忘れることはないだろう!

2011年9月19日月曜日

Sparring and biking

On saturday, which was the fourth day for me to practice at the Kyokushin Dojo of Seoul, I was told to come around 1 o' clock.  I had miscalculated the time it should take me to get there, so I had to run from the station to the dojo. Arriving there, I heard that the time was changed to 2 o' clock, so the running had been unnecesairy. I was happy to hear that today was going to be sparring day! After three days of hard training (and soccer) , I finally got what I had been waiting for! During the week, most of the students here are high-school kids (and  monsters), but this day the majority was in their 20's or 30's. The sparring started with one rotation with all of us. Most people here fight very closely, and try not to give me any space to use kicks, which can be pretty annoying for a fighter like me. What surprised me though, was that most of the fighters got tired pretty fast, despite all of the hard training they do in the week-days. After the first rotation, I had to face all of the students on a row, 2 minutes each. My first opponent was my senior Jong Seok, who has been practicing Kyokushin for over 20 years. He had a very balanced fighting style, and it was hard to see his kicks because his upper body remains straight while he kicks.

After having faced all of my opponents, the training was over. We took some pictures and had a talk. One guy that spoke very good English invited me to come and have lunch with him one day in the district he works at.


















Jong Seok asked me if I would like to go for a drive on his motor-cycle. Ofcourse I did! We first had lunch together in a self-service all you can eat style restaurant, while talking about fameous Kyokushin fighters. Talking about favorite soccer players you can do with pretty much anyone, but when it comes to Kyokushin, you really have to search for someone to talk with.
He was a very relaxed, open minded person and spoke really good English since he has lived in New Zealand for one year and has also been the body-guard of the boss of an foreign company here in Korea.
His bike was a Kawasaki, but had the looks of a Harley Davidson. We drove through the business districts of Seoul filled with skyscrapers. Seoul has not so many really tall buildings compared to Tokyo or New York, but many buildings have unique and stylefull desings. Sometimes, Jong Seok drove pretty fast with his bike, and then I would grap the back of the motor cycle with all of my strength. At the end of the day, Jong Seok brought me back to a near station, and said goodbye. I was glad to have made a new friend in this city where I hardly know anyone.

2011年9月17日土曜日

コリアンモンスターとちょっとした魔法

 September 17, 2011. Written in Seoul, South Korea

 コリアンモンスターとちょっとした魔法 

 数日前からソウルの小さな極真道場にお邪魔している。先生は女性で、大半の生徒は中高生だが、練習はかなりハード。英語の記事にも書いたが、一日目はいきなりサッカーから始まり、びっくりした。その日は最後までスパーリングがなく、知らない相手と戦えることが楽しみであっただけに少し残念だった。だが、道場の雰囲気がよかったし、人も優しかったので、明日も来ていいよという誘いに乗った。スタミナをつける良いチャンスだと思うことにした。そして、次回はもしかしたらスパーリングがあるかも、という期待もまだ捨てたわけではなかった。

 その前日同様、道場生は全員ジャージ姿で、僕もそれに学んでジャージで登場した。全員中高生でみんなノリがいい。この日も、最初の種目は空手じゃないものだったが、少なくともサッカーよりは格闘技に関係しているものだった。何かというと、もちろん縄跳びのことだ。道場生は相当慣れている様子だった。スピードが速い上、めったに失敗もしない。その中で僕一人だけが浮いていた。あまりやったことがなく、いかにも素人に見えたと思う。2千回やれという話だったが、全員が終わったところでまだ1400代だった。「もういいよ」と先生が笑って言った。少し恥ずかしかったが、終わるころには少しこつがつかめてきた。どこかで縄跳びを買って、一人で練習してできるようになってやろう。

 その後は一番でかい二人がガンダム(全身防具)をつけて、息上げを行った。あれだけ縄跳び慣れしているのに、突き蹴りの感触は素人に近い子が多かった。だが、ガンダムをつけている二人は少し違った。練習している人の技だな、と見て取れた。僕が息を上げたあと、一人と交代してガンダムをつけて、技を受けた。全員が終了すると、最後にガンダムをつけている大きい高校生と僕とのガンダムスパーが行われた。僕より体重が重く、身長も同じくらいだったが、最初に上段を蹴ってみるとクリーンヒットして、相手がびっくりした。だが、下がるどころか、プレッシャーをかけてきた。16歳だとは思えないような大きい身体が突進してくるのに対して左右に交わしたりして、また上段を捉えようとした。日本での最後の試合、強くて大きい高校生と戦ったことを思い出した。確かににこんな感触だった。
 いい身体してるし、空手に対する情熱もよく伝わってきたが、まだそこまで技はついてきていないようだ。空手をやってまだ日が浅いのかもしれない。

 稽古をおえて、先生とでかい彼と3人で少し話した。先生の英語よりも彼の英語の方が上手だった。12月に試合を控えているらしい。そらから、来年は日本でも試合に出る予定でいるみたいだ。「高校生の部じゃあ、きっと強いんでしょうね」と言うと、先生が笑って彼のことを「モンスターだからね」と言った。

 その夜、帰宅すると足の親指が痛くて、歩くのが精一杯だった。前日のサッカーで突き指をしたのが、悪化したみたい。
 翌日起きてもまだ治らず、触ると相当に腫れているので、稽古にいけるかどうかが心配になった。だが、時間になるととにかく行ってみることにした。道場までの道のりは結構長く、1回乗り換えて45分くらいかかる。道場に到着すると案の定、中高生がサッカーをやっていた。サッカーだけは無理だな、と思ったが、幸い誘われなかった。
 サッカーが終わると、砲丸のようなものを用いたウェイトトレーニングがはじまった。これには僕も参加した。何種目をも、それぞれ5セットずつ行い、全身を使った運動だった。間に休憩もほとんどなく、相当の汗が出た。僕は日本でもウェイトトレーニングが苦手だったが、ここでもついていくのに一苦労だった。だが、どの種目もよく考えられたもので、先生の稽古のつけかたに感心しながら楽しく身体が動かせた。そして、いつのまにか足の親指の痛みを忘れ、平気で足に負担のかける種目までこなした。日本でもよくあったが、どこかを怪我してて稽古できないなと思いつつ、道場にくるとついその痛みのことを忘れ、問題もなく身体を動かしていることがある。それは道場のちょっとした魔法だと思う。
 稽古はウェイト一筋で終わった。全身に疲労を感じながら道場を後にした。そして、外に出た瞬間、足の親指のあのおそろしい痛みが戻ってきた。魔法が消えた。

2011年9月15日木曜日

Soccer Dojo

September 15, 2011. Written in Seoul, South Korea.

Soccer Dojo

Now that Chusok (the Korean holidays) is over, I thought it was about time to go and search for another Kyokushin Karate Dojo here in Seoul. I had received the adress and telephone number of a Dojo here from the people of the Dojo in Pusan, and decided to go and search for that place. I had heard that the teacher there was a woman.
I showed the adress to Miss Kim to ask her which subway station I had to go to, but once I got out at that station, I knew almost for sure that this was not the correct place. It looked like the number 1 business district of Seoul. All I could see were skyscrapers! Nobody would start a Kyokushin Dojo in a place like this. I decided to call the telephone number of the Dojo. A woman took up, and said "Hello" in Korean.
I asked if she spoke English or Japanese, but she said no, but when I asked if I was calling to a Kyokushin Dojo, she said yes. She then gave me a number of someone that was supposed to speak English. I hung up, and called the new number. The guy that took the phone explained me in very good English that I was at the wrong station, and told me to which station I had to go. It took me about 30 minutes by subway to get there, and once I was there, it took me another 30 minutes to find the place. I felt very happy to be able to practice Karate again. My body had wanted some fighting for a long time!

When I entered the Dojo, I was told to sit down and have a talk with the female teacher. There was a guy with a white belt that spoke English, so he translated for us. The teacher said that it was no problem for me to join the lesson, but that she was a bit worried because the way of practicing was probably a bit different from Japan. They practiced in a much more freestyle way. I take the apporoach of a gym, rather than that of a dojo, she said. I told her that I didn't mind and that I was looking forward to experience a different way of practicing.

Everyone except for me and the white belt guy where not wearing a Karate-gi, but just a short pants and a T-shirt. If I would have known that, I would have brought a T-shirt myself too!
The training started without sitting down, bowing and meditating. That, however, was still acceptable. What came next, really surprised me. Those who remember the title of this blog might already feel it coming, but the training started with a 4 to 4 match of soccer! Now, first of all, playing soccer without wearing shoes in a Karate-gi is a very uncomfortable thing. Next, the Dojo was way too small for a 4 to 4 match. And above all of that, the plastic ball was too small and soft to play a serious soccer match with. I ended up kicking the the floor multiple times, and finally injured my foot. If it would have been a warming up, I could have somehow understood the reason that we were playing soccer, but the match went on until one of the teams scored 10 points! The goals were very small, and it usually took a long time for someone to score. I think we played soccer for about an hour, and that was at least the half of the training! After that, we did some kicking and punching to the mitt's, but that is all the Karate I have done that day!  The last half hour was a condition training. I cannot deny the fact that it was a very hard training. Especially because I already felt quite tired after the soccer, I had a had time kicking and punching after that. Maybe my condition has become worse since I haven't been practicing on a regular basis these days. But although I was pretty tired after the training, I didn't feel completely satisfied. I had wanted to practice Karate so much, but actually hadn't really practiced any Karate at all. I especially had wanted to spar! To fight with new opponents in a different country is a lot of fun, and an easy way to feel a connection without speaking the same language. I was invited to come the next day too though, so I hope I can do some sparring today!

2011年9月13日火曜日

昼のバナナミルクに夜のお酒

 昨日は新しくできたフランス人の2人の友人と韓国の銭湯に行ってきた。彼らの韓国人の知り合いが勧めた「ソウルで一番きれいな銭湯」らしい。場所は都心から少し離れた梧木橋という駅から徒歩5分にある。確かに、見るからに清潔な風呂だが、天然温泉ではないようだし、露天風呂もない。今まで行ったどの韓国風呂にも、思ってみれば露天風呂を見かけたことは一度もない。
 そういえば、以前に釜山で健康ランド(韓国語ではジムジルバングという)で夜を明かそうとしたことがある。ところがフロントの女性に「外人お断り」ときっぱりと断られた。そういうルールならそれはそれで仕方ないとあきらめたが、入り口には韓国語だけでなく、日本語も表記されていることには少し参った。同じ海外から来たものであっても、日本人は外人と見なされないらしい。

 しかし、ソウルでは外人も受けいられているようだ。二人の友人としばらく湯に浸かり、その後は韓国でよく飲まれる「バナナミルク」を飲んだ。銭湯から出た後は、電車でソウル大学付近の駅まで行った。二人はソウル大学の留学生で、僕にその付近を紹介してくれた。ところが、今はチュソック(韓国の連休)で、お店はどこもやっていないし、街が死んでいた。それでも営業している店は何件かあり、そのどれかに入って3人で焼肉を食べた。特に一人とは感性がよく合い、話に夢中になった。もし学校や職場などの同期だったら、あっという間に親友になれたのだろうと思う。

 ゲストハウスに戻って、少しパソコンをやったあと、その前の日に仲良くなった中国人に「一杯やらないか」と誘われた。彼は酒好きで、韓国の強い酒をコンビニで買ってきた。一緒に飲みながら、彼自身や中国についていろいろな話が聞けた。英語がお互いにうまく伝わらないときは、紙に漢字を書いて、言わんとしていることを伝い合った。漢字とは、魅力的なものだなと思った。ただの音声を表す文字にはない深さがあり、普遍性がある。中国へ行くのがますます楽しみになってきた。

2011年9月12日月曜日

Een lange avond.

September 12, 2011. Written in Seoul, South Korea.

Een lange avond.

2 dagen geleden kwam er een Duitser met lang rood haar in een staartje en een gigantische baard Kim's guesthouse binnenlopen. Een echte backpacker, zou je zeggen, maar toen ik het hem vroeg bleek het een nette student te zijn die hier een maand geweest was voor een taalcursus. Het zou zijn laatste dag in Korea zijn, en hij zou die avond een afscheidsfeest hebben. Hij vroeg me opeens of ik ook wou komen. Ik had toch niets te doen, en wou hier toch al wat mensen leren kennen, dus besloot mee te gaan.

Om 7 uur 's avonds verzamelde zich het gezelschap in de studentenwijk Hongik. Het gezelschap bestond uit een stuk of 5 Duitsers, 5 Koreanen, 1 Amerikaan (die zoals het hoort zich gedroeg als de vertegenwoordiger van de hele groep), 1 Fransman en 1 Nederlandse Japanner.
Ik was overdag al eens eerder in deze studentenwijk geweest, maar had er toen niet echt iets speciaal van gevonden. Nu 's avonds was het echter een zeer gezellige wijk vol met jongeren, met overal eethuisjes, bars en clubs. Het lag er wel helemaal vol met rommel. Er waren zelfs parkjes die haast vuilnisbuilten leken. Er was letterlijk geen groene plek te vinden in die parkjes.


We gingen eerst in een Koreaans barbequehuis eten. Een van de Duitsers at niet mee omdat hij vegetarisch was. De Amerikaan at ook niet, waarschijnlijk omdat hij op wou vallen. De twee moesten daarom van het eethuis aan het rand van de tafel zitten, zodat ze geen plaatsen zouden innnemen van andere gasten.

Het was grappig om te zien dat alle Duitsers Koreaans spraken, en alle Koreanen Duits. Het was dan ook een groep die elkaar op de Koreaanse universiteit van talen had leren kennen.

Ik raakte al snel in gesprek met een paar Koreaanse jongens die in mijn buurt zaten. 1 leek Japans te spreken, en wonderbaarlijk goed voor iemand die er nooit gewoond heeft. Hij had wel 3 jaar een Japans vriendinnetje gehad. Zijn ex-vriendinnetje scheen altijd omgeschakeld naar het Japans gehad te hebben als ze ruzie kregen, en omdat hij er de pest in had dat hij haar dan niet begreep was hij de taal gaan leren.

Er was echter een nog veel merkwaardigere Koreaan in de zaal. Namelijk een Nederlands sprekende Koreaan. Dat heb ik nu nog nooit meegemaakt. Hij sprak het niet vloeiend en kende veel woorden niet, maar je kon echt een beetje een gesprek met hem voeren. Hij scheen het zichzelf geleerd te hebben terwijl hij in het leger zat.

Na gegeten te hebben, gingen we nu in een soort bar doorpraten. Daar kwam ik er achter dat een van de Koreaanse meisjes ook Japans sprak. Zij had er ook nooit gewoond, maar sprak de taal doordat ze altijd naar Japanse soapseries keek. Ze had de taal dus zelfs niet eens gestudeert! Ze had een vrijwel perfect accent, en ook een zeer goede woordschat. Het leek me een zeer intelligent meisje, vooral omdat ze ook vloeiend Duits en Engels sprak.

Toen de vegetarische Duitser later in de nacht stomdronken opeens boos tegen mij aan begon te brullen, leek het mij beter niet terug te gaan brullen en gewoon mijn excuses aan te bieden. Hij begon me bijna te slaan, maar toen ik hem nogmaals zei dat het me speet (terwijl er helemaal niets gebeurt was) begon hij opeens te lachen en zei dat het allemaal maar een grapje van hem was geweest.
Het Koreaanse meisje dat Japans sprak had dit allemaal zien gebeuren, en zei tegen mij: "Je spreekt niet alleen Japans, je bent ook een Japanner!"

Later in de nacht raakte ik ook in gesprek met de Fransman. Een zeer intelligente jongen van 21, die hier net een week geleden was aangekomen om een half jaar te studeren. Hij was eigenlijk liever naar Japan gegaan, maar dit ging niet door omdat de enige universiteit waar hij had kunnen studeren als uitwisselingsstudent zich in Sendai bevond. Zijn vader kwam uit Georgie. Hij vertelde hoe mooi het daar was, en hoe vriendelijk de mensen daar waren. Nu heb ik weer een nieuw land op mijn lijst staan!

Toen rond 3 uur 's nachts de inmiddels dronken Amerikaan tegen meisjes die hij niet kenden begon aan te rijden, zaten wij (de Europeanen) doodmoe op onze stoelen voor ons uit te kijken.

Om 6 uur s'ochtends was eindelijk het feest afgelopen, en keerde ik met de Duitser met de baard (die ik die avond eigenlijk bijna helemaal niet gesproken had) terug naar Kim's guesthouse.

2011年9月10日土曜日

書評『ケインとアベル』

September 10, 2011. Written in Seoul, South Korea.

書評『ケインとアベル』ジェッフリー・アーチャー著


注意:なるべくネタバレのないように書くし、結末などももちろん言わないが、この作品を取り上げる以上、多少の情報を漏らすかもしれないので、これから読みたい人は注意して読んでください。








『ケインとアベル』はまったく異なった環境に育った二人の男のそれぞれの一生を交互に取り上げる作品で、二人の対立が見事に描かれている。だが、この作品はすべて二人の対立に向かっているだけではない。二人のそれぞれのエピソードの一つ一つは巧みに描かれており、続きが知りたくなるようにできている。ご都合主義に感じたり、できすぎたりしているように思えることも多々あるが、それでも感動的なエピソードや結末に感動せざるを得なかった。

文章も魅力的であり、わざとらしい表現などなく、すべてありがままに描写されており、人々の感情も素直に、本物らしく感じる。その意味では、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を思い出した。『アンナ・カレーニナ』では150年前のロシア社交界を本当に体験しているような気分になるが、同じように本書では、100年前のポーランドやアメリカの人々と共に生きているような錯覚にとらわれる。
また、歴史的な出来事に触れながら発展する本書は非常に勉強になった。特にアメリカの近代史のほぼすべての重大な出来事は登場し、主人公たちのそれらとの関係も描かれている。登場人物たちがどのようなときにどんな悩みを抱えていたのかがわかり、更なる感情移入ができるようになる。

私の唯一の批判は、以前にも述べたことだが、物語が多少できすぎていることである。特に一つの、物語において重大な意味を持つ出来事は、極めて作られたように感じ、人々の感情があれだけ本物らしく描けているだけに残念だった。

かなりの長編だが、巧みに描かれた切ないストーリーを楽しみたい人にはかなりのおすすめ!

2011年9月9日金曜日

新たなる世界共通言語

September 9, 2011. Written in Seoul, South Korea.


新たなる世界共通言語

  昨日の昼、宿舎でパソコンをやっていると新しい客が入ってきた。
「すみません!」という英語が聞こえてくる。支配人の金さんはいないので、僕が代わりに迎えると、日本人らしき男がそこに立っていた。
「日本の方ですか?」と日本語で聞いた。
「Uh, Yeah!」と男は言い、それから日本語で「そうです」と付け加えた。
Oさんという名前の人で、金さんが来るまでの間お話をしていると、私と同じく、世界一周を目指している人であることがわかった。しかも、旅行計画が細部まで似ているようだ。
私が彼より約一週間も早く博多から釜山への船に乗ったのだというのに、彼は今頃もう中国への船に乗っているはずだ。追い越されたな、という悔しい気持ちがかなり強い。だが、それは二人の性格の違いをよく表しているというしかない。私は「なんとかなる主義」で、出発前に何も調べていない。ところが、彼はちゃんと中国へ行くのにビザが必要かどうかを調べ、日本で申請を済ませてきている。

昨日は彼にとってソウル滞在の最終日であったため、一緒に昌徳寺という世界遺産を見てきた。ちゃんとその都市の見所を調べないと、せっかく来たのに見ずに帰ってしまうことを痛感された。寺はとても広く、村と勘違いしてもおかしくない程に建物や部屋がたくさんあった。


















寺を一通り見回った後、その付近で食事したのだが、困っている僕におごってくれたOさんは本当にいい人だなと強く思った。















その夜、ドーミトリーでOさんと話をしていると、背の高い白人がバックパックを背負って入ってきた。彼は僕らの日本語をしばらく不思議そうに聞いていた。
「あなたももしかして世界一周ですか?」と英語で聞いてみた。
彼は首を振って流暢な日本語で違うことを伝えた。
今度は僕らが不思議な顔をする番だった。日本であればともかく、海外で1日に日本語が話せる白人二人に会ったOさんの驚きは並ではなかったのだろうと僕にも想像がついた。もう、外国人を見て日本語で隠し事を話し合うことがとてもできない時代になってきているようだ。その妙な光景に対して、3人で笑い合った。
「英語なんてクソッ食らえだ!これからは日本語が世界共通語になるんだ!」とでも言いたい気分だった。

夜、シャワーを浴びた後、ゲストハウスのリビングらしき部屋のソファでOさんと話していると、今度は二人のフランス美女、それから二人のフィリピン美女と話し込んで、6人で3時すぎまでたくさんの会話をした。やはりここに来ている女の子はみんな韓国の歌手やアイドルのおっかけばかりだ。

そして、今日、Oさんがさっそく中国へと出発した。知り合ってまだ一日だったが、もう懐かしい友人のように感じてきただけに、少し寂しい気持ちもあるが、きっと世界のどこかでまた会える気がする。

2011年9月8日木曜日

行きつけのそば屋は韓国にだってある。

中国の観光ビザ申請が問題になり、あとしばらくソウルにいないといけないことが決定した。もういろいろと韓国料理も食べたし、あとはビザが出るまでの間をなるべく安く過ごせば良いだろう。
その考えを基に、ゲストハウス付近のそば屋に毎日のように行くようになった。
4000W(300円くらい)で腹がいっぱいになるまで食べられるし、言葉こそ伝わらないが、店の人は感じがいい。

最初は日本料理だと思って入ったそば屋だったが、実はそうではなく、韓国のそばらしい。確かに日本のそばとは麺が少し違う。日本そばと冷麺の間くらいの食感といえるのかもしれない。麺にはこしがあり、美味しい。そばつゆも少し違うようで、大根おろしがはじめから入っている。

しかし、一番の違いはなんといっても麺の長さとねばねばした感じ。日本の蕎麦だと思って食べると大変なことになる。少しだけつゆの入れ物に入れようとすると、麺がくっつくのでと全部入れてしまい、つゆが溢れこぼれてしまうことが度々ある。そんなことをしている僕を横目で見ている韓国人が大笑いし、ハサミを出してくれた。なるほど、箸ではとても放せないから、ハサミで切ってからつゆに入れるのか。ところが、落ち着いて食べているとそんなことを忘れてしまい、つい日本そばの感覚で食べてしまうと、またつゆが溢れそうになる。

だが、そんなことをしていても優しく微笑んでくれる店長は、そばがなくなると無料でおかわりをくれる。この店を行きつけにしょう、と思ったのはそのためだ。

ビザが出るまでの間は、朝ゲストハウスの食パンで腹をいっぱいにし、夜は韓国そばで腹をいっぱいにすれば、比較的にお金を使わないで済むのかもしれない!

Visumproblemen

Visumproblemen


September 8, 2011. Written in Seoul, South Korea.

Pas in het eerste land en nu al visumproblemen.
Dat merkte ik toen ik op mijn derde dag in Seoul naar de haven vertrok om een bootticket naar China te kopen. Vanaf het station Dong-Incheon zou het nog 20 minuten lopen zijn naar de internationale haven, maar als je niets kunt lezen en de weg niet kent natuurlijk het dubbele.

Eenmaal aangekomen zag ik meteen dat een van de ticketbalies niet open was, en nog wel die van de plek waar ik het liefst heen had gewild. Hij was natuurlijk niet open omdat het zaterdag was. Nu maakte het me niet zoveel uit waar de boot heen zou varen, zo lang het maar China was. Daarom besloot ik een ticket aan te vragen naar een andere Chinese stad. Ik koos voor "Quingdao" omdat de Chinese tekens voor de naam mij wel bevielen. Het jonge meisje aan de balie vroeg mij meteen om mijn paspoort.
"Maar u heeft geen visum om naar China te gaan!" zei ze meteen, in mijn paspoort bladerend.
"Heb ik dat dan nodig?" vroeg ik.
"Ja, natuurlijk!" zei ze alsof ik achterlijk was.
Ik besloot terug te keren, en eerst eens op te zoeken over het visum. Ik meen me zeker geweten te hebben dat het niet nodig was. Maar toen besefte ik me opeens, dat ik zo stom geweest was het in het Japans opgezocht te hebben. Dat gelde natuurlijk niet voor mij!

Terug in Kim's guesthouse, kwam ik er achter dat er nog meer problemen waren. Volgens een nieuwe regel was het niet mogelijk meer om als buitenlander in Seoul een touristenvisum naar China aan te vragen! Wat nu?
Na uren gezocht te hebben vond ik geruchten dat het wel in Pusan zou kunnen. Ik kon dit echter niet nakijken omdat het weekend was, en kon niets anders dan wachten tot maandag.

Op zondag, raakte ik in het gastenhuis in gesprek met een Fransman. Hij leek precies hetzelfde probleem als mij te hebben, en vertelde dat er weinig hoop was. In Frankrijk moest je zelfs je werkcontract laten zien, dus ontslag nemen en in China rondzwerven was voor een Fransman niet meer mogelijk. Hij had wel nog niet gehoord van de geruchten over Pusan, en dat gaf hem een beetje hoop.

Op maandag belde ik meteen naar het Chinese consulaat in Pusan, maar daar werd mij meteen verteld dat ik daarvoor bij reisbureau's die door het consulaat aangewezen waren moest zijn. Ik ging het lijstje af van die reisbureau's, maar nergens werd er Engels of Japans gesproken. Uiteindelijk vond ik een adres waar men een beetje Japans sprak. Ik legde mijn situatie uit en vroeg of ik in Pusan een visum zou kunnen krijgen.
"Ja" zei het meisje meteen.
Ik herhaalde nog eens rustig alle feiten, en vroeg of ze zeker wist dat het kon.  Ik moest het wel zeker weten, want het zou een reis van zes uur zijn naar Pusan.
"Ja hoor, het kan. Komt u maar langs" zei het meisje.
"En een Fransman?"
"Ook dat is geen probleem"

Samen met de Fransman verliet ik het gastenhuis, en vertrok samen met hem weer terug naar Pusan. Het was een buschauffeur van 26 die 1 of 2 keer per jaar een lange reis maakten naar verre landen. Hij was al bijna de hele wereld over geweest. Ook in Japan had hij eens een maand rondgereisd, en S'nachts gecampeerd. Zelfs in Shinjuku, zou hij ergens in een parkje zijn tent hebben opgezet. Naar China was hij ook zonder problemen geweest, voordat na vorig jaar alles opeens strenger werd.
"China is een speciaal geval." zei hij. "Verder heb ik nog nooit ergens geen visum kunnen aanmaken"

Aangekomen in Pusan besloten we eerst ergens te gaan eten. We kozen voor een simpel Koreaans eethuisje. Toen het eten kwam, haalde hij een klein vorkje uit zijn tas. Hij kon niet met stokjes eten. En dat terwijl hij zo bereisd was! Dat kon toch niet!

We wouden in een jimjilbang (een badhuis) gaan logeren, maar nadat we die gevonden hadden bleek het dat we daar niet binnen mochten omdat we buitenlanders waren. Nu kon ik mij daar op zich wel bij neerleggen, maar het feit dat alles binnen in de jimjilbang ook in het Japans was aangegeven gaf toch wel een discriminerend gevoel.

We vonden uiteindelijk een klein motelletje om voor zo een 20 euro de nacht door te brengen. De volgende ochtend vertrokken me vroeg naar het reisbureau. Het bleek precies het station te zijn waar ik iets meer dan een week terug met de boot vanuit Japan aangekomen was te zijn. Ik was dus weer terug bij af. We belde het reisbureau nog even vanuit een telefooncel om de plek precies te vragen, en toen kwam het.
"Het spijt ons meneer, maar we hebben het gisteren nog even nagezocht, en het bleek toen door nieuwe regels toch niet mogelijk te zijn"
Nu raakte ik toch echt woedend. Waren we dan helemaal voor niets naar Pusan gegaan?
De Fransman zei dat hij dan maar wat rond ging kijken in de stad. We namen afscheid van elkaar.

Ik besloot meteen weer terug met de trein naar Seoul te gaan. Ik had niets meer te zoeken in Pusan. Zoals ik de vorige dag ook gedaan had, nam ik weer de trein van zes uur terug naar de hoofdstad. Ik had zin in het gezellige gastenhuis daar. Er was daar altijd wel iemand om mee te praten. Maar, toen ik daar aankwam, merkte ik dat ook daar uitzonderingen op zijn. Het was pikdonker, en er was helemaal niemand te bekennen. Goed, ook dat nog. Ik begon me nu toch wel een beetje eenzaam te voelen, en waarschijnlijk moest ik hier nog wel een poos blijven voordat ik naar China zou kunnen gaan!

Ik bekeek mijn mail. Veel mensen waren zo lief geweest zich uit te sloven voor mij om naar een oplossing te zoeken; mijn ouders, mijn vriendin en andere vrienden in Japan. In Japan was het waarschijnlijk wel mogelijk om een visa te regelen, maar zekerheid had ik niet. Het was misschien toch beter om gewoon een retourtje naar Nederland te vliegen. Dat was natuurlijk wel zonde van het geld. Maar uiteindelijk bleek er ook de mogelijkheid te zijn het paspoort naar Nederland te sturen, en het regelen van het visum daar door mijn ouders te doen. Een paspoort opsturen is natuurlijk riskant, maar ik deed het liever dan helemaal heen en weer reizen. Dan was de magie van mijn hele reis ook meteen verpest.

Ik bereed al mijn papieren voor, en de volgende dag stapte ik naar het postkantoor om mijn paspoort op te sturen. Nu bleek het alleen dat er officieel in Korea geen paspoorten per post verstuurd mogen worden, maar uiteindelijk lieten ze het me wel doen, maar ik moest het sturen als "documenten" en niet als paspoort. Het was nu in ieder geval gelukt, en ik hoefde verder alleen nog maar te wachten op het paspoort om terug te komen. Het probleem was echter, dat het nog wel een kleine 2 weken zou kunnen duren, terwijl ik het hier in Zuid-Korea wel zo een beetje gezien had.

Terug in het gastenhuis, merkte ik dat ik nu de enige gast geworden was in mijn kamer. Goed,...twee weken in een gezellig gastenhuis in mijn eentje. Tot vlug in China!

2011年9月7日水曜日

Zuigend voedsel

September 7, 2011. Written in Seoul, South Korea.

Zuigend voedsel

In Korea is er een gerecht genaamd "Sannakji". Dit is een zeer beroemd gerecht en staat er bekend voor dat het eten beweegt. Jawel, bewegend eten. Of beter gezegd, een bewegende, en dus levende octopus. Dit moest ik natuurlijk uitproberen. Er schijnen ook hele octopussen gegeten te worden, maar het restaurant waar ik was serveerde het in stukjes gesneden.
Het is toch vreemd als je je bedenkt, dat zo een beest levend in tientallen reepjes gesneden wordt, en dan toch door blijft bewegen. Normaal ga je dan toch dood, zou ik zeggen.

Toen het gerecht aankwam, pakte ik met mijn stokjes eerst een groot stuk, om te kijken hoe het bewoog. De octopus ging echter meteen aan mijn stokjes zuigen, en hoe ik ook met mijn stokjes schudde, ik kreeg hem er niet meer van af. Na een lepel gepakt te hebben, en de octopus van mijn stokjes afgeduwd te hebben, lukte het eindelijk de octopus terug op het bord te krijgen. Ik probeerde eerst een kleiner stukje. Het smaakte erg goed. Dat moet ook wel, want het was natuurlijk erg vers. Het grappige is dat de octopus op het bord zeer veel beweegt, maar zodra je hem in je mond duwt daarmee vrijwel ophoudt. Het is dus niet zo dat je een gevecht moet houden met de octopus in je mond, alhoewel dit wel het geval schijnt te zijn met een octopus die niet in reepjes gesneden is. Alleen gaan ze soms met hun zuigknoppen (Alhoewel, ze?  Het is natuurlijk 1 beest dat in stukjes gesneden is) aan je tong zuigen, en moet je ze ervan aftrekken met je tanden. Dit is een zeer apart gevoel, maar als je er gewend raakt voelt het niet naar.

Ik verbaasde me erover, dat als je zo een reepje probeert te pakken, die reepjes soms weg proberen te rennen. Hoe kan het nou, dat als je al in zoveel stukjes gesneden bent, het instinct toch nog zegt, "ze proberen je op te eten, wegrennen!" Ik zie de pink van de mens nog niet wegrennen, als een grote beer die in zijn mond probeert te steken.

Het was in ieder geval een zeer geslaagd avondmaal. De volgende keer wil ik een hele octopus proberen!


2011年9月6日火曜日

出会いと別れのKim's guesthouse

September 5, 2011. Written on train from Seoul to Pusan, South Korea.


出会いと別れのKim's guesthouse

 Kim’s guesthouseはソウルの郊外にあり、東京のそれとどこか雰囲気が似ている。ほとんどの角にはコンビニがあり、その他に多くの食堂やお店、それから事務所が並んでいて、遠くに都心の高層ビルが見渡せる。町を歩いている人は少なく、静かで落ち着いた感じだが、かといって町が死んでいるわけでは断じてない。唯一日本と明らかに違う点が、道路に落ちているゴミの量。どこを見ても必ずゴミが目につき、ゴミ袋にまとめてあっても、適当に道路の上に捨てられている。

 人と人との接し方も日本とは大分違うようで、日本のような丁寧な接客はまず見られないし、何もかもいい加減だけど感じが悪いわけでは決してない。犯罪もあまり多くないようで、人が平気で鞄をどこかに置いたり、貴重品が取られないようにするための用心もそこまで必要ないようだ。その点においては日本とよく似ている。

 適当に町をぶらぶらしていると、探したわけでもないのに、いきなり極真の道場が見えた。しかし、昼間だったのでドアは閉まっていた。夜になったらまた戻ってこよう。

 
























思ってみれば、まだ昼ご飯を食べていなかった。言葉が伝わらない以上、店に入るのに勇気がいる。かれこれ30分歩み続けて、写真からすればチヂミの専門店らしき店に入った。案の定、英語も日本語も一切伝わらないし、メニューもハングルのみ。
「チヂミ!」と言ったら伝わったようだ。何かを聞かれ、とにかく頷いてみせた。
韓国本場でチヂミを食べるのは初めてだったので楽しみだったが、結局チヂミと全然違う料理がきた。肉や魚や野菜を軽く揚げたもので、美味しかったから別に問題はなかったのだが、韓国ではこれもチヂミに入るのだろうかと不思議に思いながら食べた。


 






















店を出るとすることがなくなったので、とりあえずまたゲストハウスに戻った。東ヨーロッパの女の子たちは相変わらずテレビを見ていた。一体何のために韓国へ来たのだろうか。戻ってきた客が少し増え、中国人の女の子と少し話しをした。

 夕方になると、早速空手着を鞄につめて、もう一度道場へ向かった。道場の前には極真のTシャツを来た筋肉質の男が掃き掃除をやっていた。道場の指導員のようで、英語はそれなりに流暢だった。
 日本で極真をやっていて、今世界を回っている話をした。今日、または他の日に一回だけ一緒に稽古ができればとても嬉しいとも伝えた。
「あなたは松井派ですか?」と男は率直に聞いた。
松井派ではないと言うと、申し訳ないがそれなら稽古はできないとあっさり断られた。仕方なく引き取り、ゲストハウスに帰ることにした。きっとこれも旅のうちに違いない。釜山のユン先生のように心の広い方もいれば、一つ一つルールに沿って動く方もいる。それはそれで認めないといけない。
 少し元気をなくした状態でゲストハウスに戻ってくると、3人の中国から来た若いビジネスマンがちょうど着いたところだった。とても明るくて優しい人たちで、すぐに仲良くなれた。
 世界を回っている話をすると、羨ましそうにしていた。
「あなたは自分の人生を楽しんでいる。私たちは仕事を楽しんでいる」と皮肉った言い方で言われた。
その中の一人は26歳で、李と言った。日本の漫画やアニメが好きそうで、少し日本語が話せた。3人は会社の韓国支店を一から作り出すよう、中国の本社から依頼されたらしく、早速パソコンで支店の物件を探し始めた。僕も一つのブロゴを書こうと思って、パソコンについた。
すると、また新しいゲストが入ってきた。次と次と新しい出会いがある。Kim’s gesthouseはそんな場所だ。


日本からの旅客

September 5, 2011. Written on the train from Busan to Seoul 

日本からの旅客

 9月2日の夜、ソウルに着いたのが遅かったので駅前の健康ランドで日を明かした。その翌日は前もって調べたゲストハウスに向かった。Kim’s guesthouseというところだが、以前に世界を旅していた人のサイトで勧められていたゲストハウスだ。私の大好きなサイトで、たくさんの影響を受けています。釜山でも、このサイトで勧められていた宿に泊まろうとしたが、長い時間探したあげく、もう存在しないことが発覚した。だが、今回は、まだあるかどうかをちゃんとインターネットで調べてから向かった。インターネットで指定された駅で降り、地図どおりに進んでいくと、ゲストハウスが難なく見つかった。ところが、チェックインできる時間まであと15分くらいあったので、コンビニでジュースとおにぎりを買って食べた。

 ゲストハウスの入り口には大きな木の門があり、風格のある古い建物だった。
中に入ると、数人の東ヨーロッパの見た目をした女の子がテレビを見ており、韓国人の掃除おばさんがいた。宿の支配人はいないようだ。掃除のおばさんは僕に椅子を出してくれて、目の前に腕力のありそうな扇風機を置いてかけた。ここでちょっと待っててね、と言いたいようだ。

 東ヨーロッパの女の子の一人が奥にある電話機を指した。
「チェックイン希望者はこちらにかけてください」と電話番号が書いてあった。
電話すると、中年の女性の声が聞こえた。僕はチェックインしたい旨を伝え、女性はすぐに向かうと言った。
女性が現れると、僕の顔を少しばかりびっくりしたように見てから、事務所の中に招いてくれた。
「あなた、日本から来たかしら?」と彼女はいきなり言った。
「はい、そうです」と僕は驚いて言う。一体なぜそんなことがわかるのだろう。「どうしてわかったんですか?」
「あなたの英語の発音でわかったのよ」と女性は言った。
少しばかり日本に長くいすぎたようだ。
女性の名は金さんで、このゲストハウスの支配人である。韓国語はもちろん、英語と日本語も流暢に話す。
金さんが部屋まで案内してくれた。正午であるにもかかわらず、まだ寝ている客が二人もいた。一人は日本人らしき男だが、髪型や態度からすれば、韓国人になり切ろうとしている様子が伺える。それから、ロシア人らしき女性がいかにもだるそうに、ちょうど起きようとしているところだった。後に知ったのだが、彼女はロシアンではなく、フランス人らしい。

 僕はひとまず荷物をおろし、インターネットであれこれ調べてから、とりあえず外に出てこの界隈を探検することにした。

Finding the Jimjilbang.

September 5, 2011. Written on the train from Seoul to Pusan, South Korea (Yes for a certain reason I was on the same train again!)


Finding the Jimjilbang.

I arrived in Seoul from Pusan around 12 O’clock midnight, so it was too late to check in at a guesthouse in the city. I had heard before though, that you can stay at spa houses for a very cheap price in South Korea, just like in Japan. In fact, I have stayed in such a place when I went to Seoul on a transit a few years ago. Around Seoul station, I searched for a spa house like this. There were many houses that had a sign on them that stands for “bathing house” in Japan. Also, in Pusan, I had seen many places like this. However, everytime I went into one of those places, I found out that they were no more than cheap motels. Later, a Japanese at the guesthouse told me that these are love hotels in South Korea. I decided to go into an internetcafe, and search for the Korean word for spa-house or bathing house. I could ofcourse find this without problem. It was called a “jimjilbang”. 
On my way out, I asked the clerk of the internet cafe “Jimjilbang?”. The clerk understood me, and explained me very friendly, but completely in Korean how I had to get there. I could do nothing but just walk into the direction that he had pointed out. While walking, I tried asking another young man.
“Jimjilbang?” I said, afraid to say anything in English because he might then not understand me anymore.
The guy however, spoke to me in near fluent English.
“Oh, you are looking for the spa-house? It’s right there. Go straight, and then left”
I felt sorry for haven spoken to him assuming that he didn’t speak a word of English. But then again, that is not my fault, but the fault of all the other people of his country that don’t speak any English at all.

Before entering the spa house, I went into a convenience store. I hadn’t eaten anything for a while. I bought a Korean lunchbox, a Korean sushi-roll and some Korean ice-tea, and had my dinner while sitting on the edge of the street.
























I could stay at the jimjilbang for 12,000  a night (which is around 1000 yen, or 10 euro). 
























The clerk was very unfriendly, and explained me what I had to do in a very annoyed way. I had a nice bath, brushed my teeths and then went to the sleeping room. All sorts of Korean people were sleeping on their matrasses there. Some where still awake, playing a card-game or playing a game of Go on the computer. There was a cafetaria inside as well, so I could have had my dinner there instead of eating on the street. I felt very tired, and fell down on my matrass. It was a very hard and uncomfortable matrass, but I was too tired to care.

2011年9月5日月曜日

Op de trein naar Seoul

September 4, 2011. Written in Seoul, South Korea

Op de trein naar Seoul.

Net zoals ik in Japan gedaan had, was ik graag naar Seoul vertrokken met lokale treinen. Ik kan hier echter niets lezen en begrijpen, en had geen flauw idee hoe dat moest . Op het hoofdstation van Pusan stapte ik dus naar de touristeninformatie, om te vragen hoe dat zou moeten. De man, die behoorlijk goed Engels sprak, leek echter niet te begrijpen wat ik met "local trains" bedoelde, en wees mij steeds weer naar de sneltrein. Het valt me trouwens op hoe enorm slecht er hier Engels gesproken wordt. De meeste mensen spreken gewoon in het Koreaans door als je ze rustig in een paar woorden in het Engels iets probeert te vragen.

Ik verliet het station, en stapte een internet cafe binnen om uit te zoeken hoe je "local trains" zegt in het Koreaans. Dat bleek "tonggeun" te heten. Ik noteerde het voor de zekerheid ook in Koreaanse tekens erbij.  Ik verliet het internet cafe, en ging weer terug  naar de touristeninformatie van het station.
"I want to go to Seoul by Tonggeun!"
"Wh..What?" De man leek mijn uitspraak niet te verstaan.
Ik liet hem de Koreaanse tekens zien. Hij leek het begrepen te hebben, maar schudde zijn hoofd, en wees mij weer naar de sneltrein.

Niets aan te doen, dan maar met de sneltrein....
Er was een hele snelle, die je in 2 en een half uur in Seoul brengt, en een gewone snelle die er 6 uur over doet. Ik nam natuurlijk die van 6 uur.
























Binnen in de trein was het erg ruim. Er was ook een cafeteria waar je niet alleen iets kon eten en drinken, maar er stonden ook spelletjeskasten, computers en karaoke machines. Het leek de boot wel!















Wat me erg opviel was dat de conducteur van de trein boog op een heel andere manier dan men dat in Japan doet. Ten eerste veel langzamer, en ook veel minder diep. Wat niet wou zeggen, dat het er niet beleefd uit zag. Er zat alleen een groot verschil tussen de mooie buigingen die de man maakte, en zijn gewone gedrag tegen de passagiers. Hij schreeuwde haast tegen ze, en begon ruzie te maken met iemand die een verkeerde kaartje gekocht had. Hij kwam om het half uur door coupe's lopen om iets te controleren, maar ik weet in god niet wat. Kaartjes controleren, deed hij gek genoeg bij maar een paar mensen.

Op de WC kon ik de doortrek knop nergens vinden. Er was alleen een rode knop, maar ik was bang dat dat misschien de noodrem zou zijn. Er stond alleen maar iets bij geschreven in het Koreaans. Er was nergens een andere knop te vinden, dit moest toch wel de doortrek knop zijn. Met een kloppend hart dat ik nu misschien de trein stil zou zetten, drukte ik voorzichtig op de rode knop. Toen ik het water hoorde spoelen, voelde ik me erg gerust.



















Het werd al gauw donker, dus van het platteland van Zuid-Korea heb ik weinig kunnen zien.  Alleen dat  het erg bebergt was, en dat er bijna overal wel ergens ligt te vinden was. Het is dan ook een erg dichtbevolkt land.

Toen ik om een paar minuten voor 12 uur S'nachts eindelijk in Seoul aankwam, viel me het aantal zwervers die voor het station lagen te slapen, erg op. Voor mij was het nu ook tijd om ergens een slaapplaats te gaan zoeken.

2011年9月3日土曜日

Live at Marubee's

Live at Marubee's


September 2, 2011. Written in Seoul, South Korea.

When I came back to the Marubee House at around 6 O'clock, the other German girl had arrived. She had the looks however, of a Korean girl, and spoke a lot better Korean that the white girl did. There was also a woman of the Marubee staff whom I had never seen before, but there was still no sight of Joy, the English speaker. The white German girl was using the wash machine in the kitchen, something that I had wanted to do, but I hadn't seen the wash machine yet. I decided to use it after she was done.

While I was looking at the internet in the living room, the staff-lady offered me a Korean sushi-roll and asked me if I had eaten before. I told her we eat it often in Japan. I could hear the German girls giggling in the girls room. The one with the Korean looks looked years younger than the white one.

Once the white German woman was done with her washes, it was my turn to use the wash machine. I didn't know how to use it because everything was written in Korean, but was too shy to ask so just pushed some buttons. It started moving, and said that it would take 50 minutes. That was enough time for me to go and eat something.
"I am going to have dinner" I told the German girls.
They were just trying to order Mc Donalds delivery, and asked if I would want to eat with them, but I told them that I prefered Korean food because my stay here probably wouldn't be so long, and left the Marubee house.

I went into a Korean barbeque style restaurant. First, I got fried eel, and after that beef. You put the fried meat or fish on a leaf before you eat it. The two women of the restaurant were very funny good humored people, and that made it a joy for me to eat there. The price though, was very expensive compared tot the other Korean restaurants I have eaten at so far.















When I came back, everybody was already sleeping. I silently took my clothes out of the washing machine, and hung them up before the big window.

I said goodnight to the cat, and went to my bed.

2011年9月2日金曜日

彷徨う異邦人

 September 2, 2011. Written in Seoul, South Korea.

 彷徨う異邦人

 思ってみれば、旅し始めてからまだ観光地の一つも訪れていないし、観光客っぽいこともしていない。どうせすることもないし、今日は気分転換に観光客を演じてみようか、と思ったのが釜山での三日目の昼間でした。
 ゲストハウスでもらった海雲台区の地図を見ると、ずっと北の方に山があり、その山の上にお寺と滝があることを知って、何の下調べもせずにそこへ行ってみることにした。
ゲストハウスからは3キロくらいの距離があったが、バックパックなしでそんなのは朝飯前になってきた。落ち着いた感じのする広い道路をいくつも通過し、途中で地図を見ながら特に問題なく山の入り口に着いた。
 暑い日で、喉がやけに乾くので途中の自販機でジュースを買った。韓国語で書かれている正体不明のジュースはいくつもあったが、無難なポカリスエットを選んだ。
山を上っていくと、川が見えてきた。この川の先に滝があるのだろう。川のところまで降りて、少し足を冷やしてきた。


















小さい魚が大量に泳いでいたが、遠くから気配を感じるようで、少しでも近づこうとするとすぐに逃げていってしまう。


















そのすぐ後、寺が見えてきた。特にこれといったほどのものは何もなかったが、一応写真を載せておこう。


















次に滝が見えてきた。これもそれほど高いものでもなければ、きれいなものでもないが、近くまでいける点は特徴的だった。文字通り、滝も真上まで行けて、その付近にピックニックしている韓国人が多くいた。


















まだ山の天辺ではないが、あと三キロもあるらしく、少し休んでから降りることにした。滝の上には公園があって、多くの人がいた。
























これはなんともいえない奇妙な光景だった。
























公園にはウェイト付きのベンチがあり、修行中のおっさんが二人いた。

少し疲れたので、バスで帰ることにした。ところが、バスに乗ったのはいいが、運賃代がいくらかかるのかが不明だし、運転手に聞いても無視。他の乗客はみんなスイカみたいなカードでタッチするし、ますますわからない。降りたいところで適当に1000Wを出したら、特に何も言われなかったのでよかったのだが、降りる瞬間まで安心できなかった。

今度はまっすぐに海へ行った。トイレで水着に着替え、少し泳いだ。同じ日本海でも、日本の海よりはよっぽどきれいで、気持ちよかった。それにしても、一人で海とは寂しい!15分くらいしたら海を出て、行けるところまで海沿いに裸足で歩いた。







































おっ、あそこから上にいけそうじゃないか!


















きれいだった。


















僕が歩いてきたのと反対側の眺め。

しばらく景色を楽しんだあと、辿った道を同じように戻って、ゲストハウスに戻った。観光客を演じるのに少し疲れたが、充実した世界一周の三日目といえなくもなかった。

The first morning in Marubee


September 1, 2011. Written on the train from Pusan to Seoul, Korea.

The first morning in Marubee.

On my receipt, it said that breakfast was available unitil 10:30. I didn’t want to miss that, so I woke up around 9:30 on my first morning at the Marubee house. In the livingroom were two of the guys that work here I had met the day before, but Joy, the only English speaker, was not there. On the kitchen table I saw a pack of bread and a pot of jam standing, but I am not the kind of person who just takes some without being told that he may do so. 
So, I decided to just write some blogs, and wait until one of them would say me that I could take some bread. They were only sitting there watching the TV though, and around 11 O’clock they suddenly left the place. Just a few minutes after that, the door opened again. I saw a Western girl entering the guesthouse, looking around.
“A, this is much better than the other place!” she said.
She appeared to be a language student from Germany. She gave me some tips on things to do during my visit in Korea. She asked me if there was someone there for her to check-in, but I told her that the guys had just left the house.
After talking with her for a few minutes though, the guys came back. They now had to help her, and I realised that I had to gave up on my bread. The German girl sometimes tried to communicate with them in Korean, but switched back to English again quite quickly. Well, at least she knew a lot more than I did.

I decided to buy my own breakfast, and told the guys that I would be back soon. At a convenience store nearby, I bought  myself one rice-ball and a sandwich. I didn’t want the guys at the house see that I was eating this, so I ate it outside, and then went back.
“I totally forgot that my friend is allergic for cats!” said the German girl pointing that cute cat that was rolling over the floor.
Allright, so there is another German girl coming...
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空手が言葉

 September 1, 2011. Written on the train from Busan to Seoul.
 
 空手が言葉

 インターネットで調べた釜山の極真道場の最寄り駅をゲストハウスのジョイさんに教えてもらった。電話番号もメモったので、直接向かう前に、ゲストハウス前の公衆電話からかけてみた。その前日も、とあるゲストハウスに電話をかけえみたが、韓国語でしかられた上、切られたので、電話をかけるのは気が重かった。だが、その勇気のなさを改めないと旅中に良い経験もできないだろうし、出会いだって少なくなるはずだから、とにかくかけてみた。
「イェッ?」と女性の声が聞こえてくる。
「そちらは極真空手の道場ですか?」とゆっくり丁寧な英語で言う。
前回と同じように、全くわからない韓国語が返ってくる。
「極真?空手?道場?」ともう一度、相手が知ってるかもしれない言葉を一つ一つゆっくりと話す。
「なんなのよ!」みたいな感じに聞こえる韓国語が返ってきて、あっさりと切られる。
これじゃ、昨日、今はなきゲストハウスを探してたときと同じパターンだな‥‥。道場は引っ越したか、それかもうないのかもしれない。今日は観光地でも見て、帰ろうじゃないか。だが、あきらめたくない気持ちもどこかに残っていた。直接行ってみるのも一つの手かもしれない。なければなかったで、その辺りをぶらぶらすれば良いのではないか、と。

 美南(ミナン)駅で降りると、とりあえず地区のOnchongを探してみたが、これは運良くすぐに見つかった。漢字でも「温泉」と表記されている。なるほど、Onchongとは温泉を意味する言葉なんだ。とすれば、ここは温泉街なのか? 道場が見つからなければ、ゆっくり温泉に浸かるのも悪くない。
地区をすぐに見つけたのは良いが、道場は一向に見えてこない。しばらくしてみると、地区も変わってしまったようだ。どこかの食堂の前で、小さい犬がに結ばれて通り過ぎる人に向かって吠えていた。





















かまってあげようとすると、元気よく飛びかかってきた。

 













これでは永遠に見つからないと思い、通りすがりの警察署で住所を見せ、場所を訪ねる。英語の話せる警官はいないが、IphoneGPSで場所を調べてくれた。途中で電話が鳴り、娘さんらしき人物の写真が画面に出たが、警官は出ないで拒否した。僕には「申し訳ありません」とも「すみません」とも「ありがとう」とも言えない。

 娘さんの電話を拒否した警官の調べてくれたとおりに進もうとするが、これもなかなか思うようにいかない。ハングルが読めないと韓国で道を探すのはとにかく大変だ。おまけに、番地がどのような仕組みになっているのかもまったくわからない。
 しばらくその辺りをさまよっても何もない。もうかれこれ2時間近く探しているはずだ。あきらめよう、道場はもうないのだ。それとも、ハングルだけで書いてある店がそうかもしれないが、僕にそれを知るすべはない。
だが、ちょうどそのときに、急に「極真会」と大きな看板が道路の向こう側にあるのが目に入った。あまりの嬉しさに走って向かった。まるで急に懐かしい知り合いに出くわしたような気分だった。



















道場はビルの地下にあった。中に入ると、自主練している道場生がいた。不審に思われてしまう前に、とにかく「押忍」と挨拶してみた。少しびっくりしてはいるが、道場生も「押忍」と答えてくれる。
 日本で極真空手をやっていて、今は旅している旨を説明してみたが、どこまで伝わったかは定かではない。英語を少し話せる道場生が指導員らしき人に僕の話したことを一生懸命に通訳しょうとしていた。感じの良い、若く見える指導員だった。
「今日一日だけ、ぜひ一緒に練習がしたいのですが、いかがでしょうか?」
伝わるまで少し時間がかかったが、自分の帯を見せたりすると少しずつ近親感が湧いたらしく、更衣室へと案内された。
 着替えている間、とてもわくわくしている自分に気がついた。空手の稽古ができる嬉しさよりも、何かの形で地元の人と交流ができることが嬉しかった。
稽古が始まるまでの間、指導員や道場生と会話した。もちろんコミュニケーションが思うようにいかないが、空手家同士である認識はお互いにあるようで、すぐに仲良くなれた。
指導員が着替えると、ユンという名前であることと、二段であることが初めてわかった。ユン先輩が少しサンドバッグを叩きはじめた。僕とは大分違うタイプの選手で、キレのある突き蹴りに羨ましくなるような瞬発力があった。

いよいよ稽古が始まった。ほぼ極真往来の準備運動・基本稽古から始まった。私の日本で所属している道場と少し違うところもあったが、国内でも道場によって違ったりするので、無理もない。号令はすべて韓国語で行われ、自分で数えていないとつい本数をオーバーしてしまいそうになった。
基本稽古の後は移動稽古だったが、伝統稽古はなく、すべてコンビネーションだった。移動稽古でやったコンビネーションを次にミットで行い、最後は受け返しで行った。試合を意識した、合理的な練習法だった。
途中で、遅れてきた茶帯の道場生が現れた。中学校で英語の教師をやっているらしく、その時点から私の通訳を努めてくれた。
最後は、私がずっと楽しみにしていたスパーリングが始まった。海外の人と手合わせできることが、私の旅の中で一つ楽しみにしていたことだ。ユン先輩も加わり、若い年齢層の人がその他6人ほどいた。始まる前にユン先輩が何かを話、英語教師が私に訳してくれた。
「スパーリングといっても、がちがちにならずに、軽めのスパーリングでお願いします」
私は一番に、ユン先輩とスパーリングを行った。最初はお互いに軽くやっていたが、次第に強くなり、気がついたら組手に近い強さになっていた。気持ちの良いスパーリングができた。ユン先輩は最初から優しかったが、スパーリング後は更なる近親感を持ってくれたようです。私も同様に、組手の強いユン先輩を改めて尊敬した。同じ言葉が話せなくても、それよりもずっと深いものを感じた気がした。他の道場生もそれぞれに手応えのある選手ばかりだった。同じアジア系でも、日本人とは少しばかり違う体格をしており、腕力のある選手ばかりだった。英語教師ともスパーリングして、力強い彼の前への突進に対してバランスを崩してしまい、転んでしまった。空手母国で稽古している者がやられてはいけない、という気持ちが強く湧き、なんとしてでもやりかえそうと思った。そこで運よく上段廻し蹴りが決まり、不意をつかれた英語教師が一瞬方向感覚を失い倒れた。だが、すぐにまた立ち直った。私と同様、彼にも意地があるようだった。気持ちの良いスパーリングができ、彼に感謝した。
一周し終わって、へとへとになったところで、ユン先輩がもう一分間だけスパーリングしましょうと言った。彼のその言葉がとても嬉しかった。イ先輩は気合いを出して突進した。私はそれに答えて、同じく気合いを出して前に出た。お互いに疲れの限界を感じても、ひたすら技を出し続けた。1分がやっと終わると、お互いに笑顔になり、頭を深く下げながら握手した。



















稽古後、ユン先生や英語教師とお話をして、釜山の道場や韓国の極真事情についていろいろと教えてもらった。ユン先輩の師範は、本部で大山総裁の元で指導を受けた韓国人らしい。
英語教師とは仲良くなり、空手と関係のない話もいろいろとした。


















道場を後にしようとしたとき、ユン先生が私に拳サポーターをプレゼントしてくれた。私は普段拳サポーターを使わないが、この拳サポーターだけは大切にしまっておこう。


















帰りの電車の中で、今まで異邦の国に感じた韓国に、急に近親感が湧いた気がした。世界を回るにしても、ただ観光地を見ていただけでは面白くないと実感した。何でもいいから、何か一つ地元の人々と交流できる道具がなくては。私に空手があることに心から感謝した。

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