October 5, 2011. Written in Beijing, China.
*インターネットがあまりにも遅いため、現在写真を載せることができない。また後ほどにやってみます。
日本の船、中国の船客
旅を始めてから一ヶ月少々、いよいよ二カ国目へ出発した。韓国には1週間もいないつもりだったが、結果としては1ヶ月以上滞在することになった。だが、その間にはいろいろと貴重な出会いや体験があり、韓国を離れることが寂しく感じたほどだ。だが、旅している以上は、様々な出会いがあるのと同じように、様々な別れもある。
金曜日夜七時の船に乗るために、東インチョン第2国際港へ向かったわけだが、その前夜朝方まで遊んだせいで時間がぎりぎりになってしまい、重いバックパックを背負いながら駅から港へ向かってダッシュしなければならなかった。
到着すると燃料を支払わないといけないことを思い出され、港内のATMが使えないから再び外に出た。ところが、どこのATMも使えず、時間もピンチになってしまい、どうすれば良いかわからず困っていた。そこで日本円を持っていることを思い出し、港付近にたくさんある両替所の一つに入り、1万円札を韓国Wと中国¥に両替してもらった。
チェックイン時間になんとか間に合い、出発までまだ時間があったので、港内の喫茶店に入った。「ワイファイありますか?」と聞いても通じないし「インターネット?」とゆっくり言っても変な顔をされるだけだった。そんなやりとりをとある20代の中国男が面白おかしそうに見ていた。ワイファイが問題なく使えたので、サバイバルの国中国に入る前に、最後にインターネットを使った。この次、いつインターネットが使えるなんてわかったもんじゃない。
いよいよ船に乗る時間になると、税関を通るために長い列に並んだ。船客のほとんどが中国人だ。僕の隣にいるのは、たまたまさっき喫茶店にいた中国人で、彼は僕に「おさきにどうぞ」と丁寧に手を税関の方向に指した。
税関を通った後は満員のバスに乗り、船の前で降りた。階段を上って船に乗り込んだ。久しぶりに旅している感じがした。この船が中国の天津に着くまで、25時間もかかる。
一番安い席を買ったつもりなのに、雑魚寝みたいな所が山ほどあって、僕はなぜかきれいなベッドの4人部屋だった。そして、なんと隣のベッドには例の中国人男が座っていた。3度も彼と巡り会ってしまうとは、なんという偶然だ!声をかけるしかない。
「中国の方ですか?」と聞くと、彼はそうだと言った。
29歳のIという名の男で、韓国の医大に留学している。将来は医者になるのかと聞くと、そうじゃなくて大学の教授になりたいと言う。よっぽど頭が良いのに違いない。英語もかなり流暢。
一緒に外に出、船が出港するまでの間、景色を眺めた。かなり寒く、我慢しながら彼と会話した。船がいよいよ動き出したのは8時すぎだった。予定より一時間も遅い。明日の夜、天津に着くのも遅くなりそうだ。
船内はとにかく中国人にあふれていた。食堂といい、免税店といい、甲板といい、とにかく中国人の群れがどこをも占領している。
ちなみに食堂だが、特定した時間にしかやっていなくて、注文できる料理は一つしかないが、味はそこそこうまい。
しばらく歩き回っていると、船が日本製であることに気がついた。まず、案内はなぜかみんな日本語で書かれている。日本語の案内の横に、中国語や韓国語の案内が貼付けられた安っぽい紙に書いてある。それから、コンセントもすべて日本の形になっている。久しぶりに変圧器なしで充電ができるのでラッキー! それから、お風呂もあり、こちらには「おゆ」と日本独特の暖簾が出ている。だが、風呂の中に入ったときの絶望感ったらない。ものすごく小便臭いし、シャワーがあるだけ。
船内放送は丁寧にされているが、中国語と韓国語のみなので僕には一切理解できない。ちなみに全客の中で、白人は僕一人しかいない。日本人は数人いるだろうが、これも大した数ではないはずだ。
9時半くらいにもう眠くなったので、少し横になってみたが、気がつくと深い眠りに入り、起きたときはもう0時過ぎになっていた。いくらがんばっても、もう寝付けなくて、2時くらいになるととうとうあきらめ、部屋を出た。自販機でコーラを買うと、後ろから酔っぱらった中国人に話しかけられた。彼もコーラ缶を一つ買った。だが、英語が一切伝わらず、中国語が一切わからない僕と会話するのは到底不可能だった。そこで良い案が思いついた。男と船のロビーまで歩き、リセプションの女の人に紙とペンをもらった。椅子に腰かけて、1時間くらい漢字を書き合って会話した。男は北京に住んでいる商人で、遊びに来てくれたら飯をごちそうするよと書いた。僕は紙に「謝謝」と書いたが、正直のところ、この酔っぱらいにお世話になる気はなかった。
そこで韓国人の男がやってきて、「通訳しますよ」と日本語で言った。韓国語の他、日本語も英語も中国語も流暢な青年だった。
しばらく3人で話し合い、酔っぱらいの中国人が私たちにもう一つ飲み物をごちそうしてくれた。
「そろそろ寝ます」と言うと、二人はまた明日、と言った。4カ国語が話せる韓国人はいいが、酔っぱらいの中国人にもう会わないことを祈って二人と別れた。
その後も中々寝付けず、5時前まで起きていた。
翌日、起きたのは1時すぎだった。
「ずいぶん寝たな」と中国人医大生のIが言った。
「ええ、もうほとんど到着ですね」と僕も笑って言った。
「飯を食べるなら、今ですよ。食堂はもうすぐ閉まる」
それを聞いて、僕はさっそく食堂にかけつけた。相変わらず中国人にあふれており、席を見つけるのに一苦労だった。
食べた後は外に出、Iと海を眺めながら、長いこと話した。同じ大学に留学していた中国人女性と付き合っているらしく、一ヶ月ほど前に卒業した彼女は今天津で働いているらしい。彼は彼女に会いに行くために、天津へ向かっているわけだ。
日が落ちるとともに、船の数が少しずつ増え、やがて陸が見えてきた。
中国の旗を捧げた小舟が見えてくると、本当に中国に来たんだなと実感が湧いてきた。
だが、天津の港に入っても、船の着陸所まではあと一時間少々かかるらしい。
漸く着くと、Iと一緒に船を降りた。4カ国語韓国人と酔っぱらいの中国人には最後まで会わなかった。
Iの恋人が港の入り口で待っているはずだったが、いないとわかると、Iは腹の立てた様子で彼女に電話をかけた。彼女は遅刻したようで、バス停で待つようにと言った。Iと一緒にバス停所まで歩いた。タクシーの運転手が何人も声をかけてきたが、無視した。Iによると、港で待ち伏せをしているタクシーはものすごく高い値段をつけるらしい。15分ほどするとIの彼女が乗っているバスがやってきた。二人は再会を楽しむ余裕もなく、街に向かって出発するバスに急いで乗った。バスの運賃は1元(12円)と、ものすごく安い。少しずつにぎやかになってくるとともに、バスに乗り込む人も増え、最後は満員になった。
「すごい人ですね!」と言うと、Iが「中国へようこそ!」と笑って言った。
だが、しばらくすると人の数がまた減り、町並みも静かな住宅街に切り替わった。そして、少しすると、バスの運転手が大声で「さあさあ、終点だよ!出て出て!」らしきことを言い、Iとその彼女がびっくりした様子だった。彼女がバスを間違えたらしく、Iがまた彼女に腹を立てる始末だった。タクシーに乗って街に行くしかない、と彼が僕に説明した。だが、タクシーが通り過ぎても、二人はなぜか手を振らなかった。しばらくすると、普通の一般車が我らの前に止まり、Iの彼女が運転手と何かを話してから乗り込んだ。ヒッチハイクでもしたのかと思ったが、Iに聞いたら違法のタクシーらしく、正式なタクシーよりは少し安い。だが、独りで乗ったら危険だから気をつけてね、と彼が僕のことを心配してくれて言った。
30分くらいタクシーに乗り、漸く街の中心に着いた。Iとその彼女は僕にタクシー代を一銭とも払わせないと言って聞かなかった。
「今度は君に安いホテルを探して上げるよ」とIは言ってくれたが、さすがに遠慮した。
二人に礼を言い、別れた。これからは独り中国だ!
I started my trip on August 25, 2011. I will travel around the world for about one year. I am not going to plan anything, but I won't make use of airplaines, and will travel only by boat, bus and train. I shall try to write a blog at least twice a week. I will write them in English, Japanese or Dutch. I might also write stuff not related to my trip, concerning literature, video-games, movies or even something completely different instead.
2011年10月5日水曜日
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