2011年9月2日金曜日

空手が言葉

 September 1, 2011. Written on the train from Busan to Seoul.
 
 空手が言葉

 インターネットで調べた釜山の極真道場の最寄り駅をゲストハウスのジョイさんに教えてもらった。電話番号もメモったので、直接向かう前に、ゲストハウス前の公衆電話からかけてみた。その前日も、とあるゲストハウスに電話をかけえみたが、韓国語でしかられた上、切られたので、電話をかけるのは気が重かった。だが、その勇気のなさを改めないと旅中に良い経験もできないだろうし、出会いだって少なくなるはずだから、とにかくかけてみた。
「イェッ?」と女性の声が聞こえてくる。
「そちらは極真空手の道場ですか?」とゆっくり丁寧な英語で言う。
前回と同じように、全くわからない韓国語が返ってくる。
「極真?空手?道場?」ともう一度、相手が知ってるかもしれない言葉を一つ一つゆっくりと話す。
「なんなのよ!」みたいな感じに聞こえる韓国語が返ってきて、あっさりと切られる。
これじゃ、昨日、今はなきゲストハウスを探してたときと同じパターンだな‥‥。道場は引っ越したか、それかもうないのかもしれない。今日は観光地でも見て、帰ろうじゃないか。だが、あきらめたくない気持ちもどこかに残っていた。直接行ってみるのも一つの手かもしれない。なければなかったで、その辺りをぶらぶらすれば良いのではないか、と。

 美南(ミナン)駅で降りると、とりあえず地区のOnchongを探してみたが、これは運良くすぐに見つかった。漢字でも「温泉」と表記されている。なるほど、Onchongとは温泉を意味する言葉なんだ。とすれば、ここは温泉街なのか? 道場が見つからなければ、ゆっくり温泉に浸かるのも悪くない。
地区をすぐに見つけたのは良いが、道場は一向に見えてこない。しばらくしてみると、地区も変わってしまったようだ。どこかの食堂の前で、小さい犬がに結ばれて通り過ぎる人に向かって吠えていた。





















かまってあげようとすると、元気よく飛びかかってきた。

 













これでは永遠に見つからないと思い、通りすがりの警察署で住所を見せ、場所を訪ねる。英語の話せる警官はいないが、IphoneGPSで場所を調べてくれた。途中で電話が鳴り、娘さんらしき人物の写真が画面に出たが、警官は出ないで拒否した。僕には「申し訳ありません」とも「すみません」とも「ありがとう」とも言えない。

 娘さんの電話を拒否した警官の調べてくれたとおりに進もうとするが、これもなかなか思うようにいかない。ハングルが読めないと韓国で道を探すのはとにかく大変だ。おまけに、番地がどのような仕組みになっているのかもまったくわからない。
 しばらくその辺りをさまよっても何もない。もうかれこれ2時間近く探しているはずだ。あきらめよう、道場はもうないのだ。それとも、ハングルだけで書いてある店がそうかもしれないが、僕にそれを知るすべはない。
だが、ちょうどそのときに、急に「極真会」と大きな看板が道路の向こう側にあるのが目に入った。あまりの嬉しさに走って向かった。まるで急に懐かしい知り合いに出くわしたような気分だった。



















道場はビルの地下にあった。中に入ると、自主練している道場生がいた。不審に思われてしまう前に、とにかく「押忍」と挨拶してみた。少しびっくりしてはいるが、道場生も「押忍」と答えてくれる。
 日本で極真空手をやっていて、今は旅している旨を説明してみたが、どこまで伝わったかは定かではない。英語を少し話せる道場生が指導員らしき人に僕の話したことを一生懸命に通訳しょうとしていた。感じの良い、若く見える指導員だった。
「今日一日だけ、ぜひ一緒に練習がしたいのですが、いかがでしょうか?」
伝わるまで少し時間がかかったが、自分の帯を見せたりすると少しずつ近親感が湧いたらしく、更衣室へと案内された。
 着替えている間、とてもわくわくしている自分に気がついた。空手の稽古ができる嬉しさよりも、何かの形で地元の人と交流ができることが嬉しかった。
稽古が始まるまでの間、指導員や道場生と会話した。もちろんコミュニケーションが思うようにいかないが、空手家同士である認識はお互いにあるようで、すぐに仲良くなれた。
指導員が着替えると、ユンという名前であることと、二段であることが初めてわかった。ユン先輩が少しサンドバッグを叩きはじめた。僕とは大分違うタイプの選手で、キレのある突き蹴りに羨ましくなるような瞬発力があった。

いよいよ稽古が始まった。ほぼ極真往来の準備運動・基本稽古から始まった。私の日本で所属している道場と少し違うところもあったが、国内でも道場によって違ったりするので、無理もない。号令はすべて韓国語で行われ、自分で数えていないとつい本数をオーバーしてしまいそうになった。
基本稽古の後は移動稽古だったが、伝統稽古はなく、すべてコンビネーションだった。移動稽古でやったコンビネーションを次にミットで行い、最後は受け返しで行った。試合を意識した、合理的な練習法だった。
途中で、遅れてきた茶帯の道場生が現れた。中学校で英語の教師をやっているらしく、その時点から私の通訳を努めてくれた。
最後は、私がずっと楽しみにしていたスパーリングが始まった。海外の人と手合わせできることが、私の旅の中で一つ楽しみにしていたことだ。ユン先輩も加わり、若い年齢層の人がその他6人ほどいた。始まる前にユン先輩が何かを話、英語教師が私に訳してくれた。
「スパーリングといっても、がちがちにならずに、軽めのスパーリングでお願いします」
私は一番に、ユン先輩とスパーリングを行った。最初はお互いに軽くやっていたが、次第に強くなり、気がついたら組手に近い強さになっていた。気持ちの良いスパーリングができた。ユン先輩は最初から優しかったが、スパーリング後は更なる近親感を持ってくれたようです。私も同様に、組手の強いユン先輩を改めて尊敬した。同じ言葉が話せなくても、それよりもずっと深いものを感じた気がした。他の道場生もそれぞれに手応えのある選手ばかりだった。同じアジア系でも、日本人とは少しばかり違う体格をしており、腕力のある選手ばかりだった。英語教師ともスパーリングして、力強い彼の前への突進に対してバランスを崩してしまい、転んでしまった。空手母国で稽古している者がやられてはいけない、という気持ちが強く湧き、なんとしてでもやりかえそうと思った。そこで運よく上段廻し蹴りが決まり、不意をつかれた英語教師が一瞬方向感覚を失い倒れた。だが、すぐにまた立ち直った。私と同様、彼にも意地があるようだった。気持ちの良いスパーリングができ、彼に感謝した。
一周し終わって、へとへとになったところで、ユン先輩がもう一分間だけスパーリングしましょうと言った。彼のその言葉がとても嬉しかった。イ先輩は気合いを出して突進した。私はそれに答えて、同じく気合いを出して前に出た。お互いに疲れの限界を感じても、ひたすら技を出し続けた。1分がやっと終わると、お互いに笑顔になり、頭を深く下げながら握手した。



















稽古後、ユン先生や英語教師とお話をして、釜山の道場や韓国の極真事情についていろいろと教えてもらった。ユン先輩の師範は、本部で大山総裁の元で指導を受けた韓国人らしい。
英語教師とは仲良くなり、空手と関係のない話もいろいろとした。


















道場を後にしようとしたとき、ユン先生が私に拳サポーターをプレゼントしてくれた。私は普段拳サポーターを使わないが、この拳サポーターだけは大切にしまっておこう。


















帰りの電車の中で、今まで異邦の国に感じた韓国に、急に近親感が湧いた気がした。世界を回るにしても、ただ観光地を見ていただけでは面白くないと実感した。何でもいいから、何か一つ地元の人々と交流できる道具がなくては。私に空手があることに心から感謝した。

5 件のコメント:

heonpyo さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
heonpyo さんのコメント...

Osu! nice post! but Sihan's name isn't イ! He's familly name is Yun(ユン). full name is Guang-sik Yun(ユン.グァンシック) He is 5th all korea kyokushin tournament champion and He was born 1978. korea age 34year's old.
We suprised for you are 7th tokyo tournament champion!

p.s Our dojo's websit : http://cafe.daum.net/kyokushinkaipusan.

Rijn さんのコメント...

Hi I thank you for your comment and I am sorry about my mistake on Yun Shihan's name! I shall have a look on the webiste!

Rijn さんのコメント...

By the way, can you read Japanese?

Kouji.Tanaka さんのコメント...

クラベ君の空手に対する情熱が伝わったんだね。素晴らしい!世界共通言語を持ったに等しいね。

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