Kお姉さんと重慶から桂林への列車に乗ったわけだが、寝台席が残っていないため、普通席で行くことになった。僕は最初から寝台席とは無縁の貧乏旅行者だから別に問題はなかったが、Kお姉さんは今までずっと寝台席で移動してきたので、20時間も耐えられるかと心配していた。
「大丈夫ですよ。席はちゃんとしてるし、以外と広いです。それに、途中から客が減ったりすると足も伸ばせたりしますよ」と僕は彼女を安心させてみた。
ところが、車両に入ってみると、僕らの目の前にものすごいカオスが披露されていた。今まで乗った中国の列車の中では間違いなく一番汚いし、一番狭くも騒がしくもあった。
「私、本当にこ乗って行けるかしら」とKお姉さんが何度も心配をこぼした。
僕らの向こう側には、二人のあんちゃんが頭をテーブルの上に載せて、まるで失神したかのように眠っていた。彼らがそのおよそ8時間後に列車を降りるまで、びくっとも動かなかった。
一時間くらい乗っていると、車両に青いスーツを着た若い男が入ってきた。手にバケツを持っていた。
「さあさあ、みなさん、ご注目ください!」らしき中国語から彼の発表が始まった。
なんだろうと思い、首を伸ばして遠くから見ていた。最初は手品なのかと思ったが、掃除用品らしきものをバケツに入っていた雑巾にかけ、これを車両のおばさんたちに見せはじめた。どうやら何らかの掃除用品を売りにきたらしい。演技がうまく、まるでテレビのコマーシャルを見ているような気分だった。そのおかげか、商品を買う人がびっくりするほど多かった。
飲み物や軽食を売りに来るのはわかるが、掃除用品とは。まいっちゃうよね、中国には‥‥。
寝ようにも寝られず、しりとりをやったりゲームをやったり読書したり会話したりしながら、少しずつ時間が過ぎて行った。
深夜になると、中国人はみんな気持ち良さそうに眠り始め、まるでいびきの合唱団みたいだった。
我々も目を瞑ってみたが、狭いしうるさいので、眠っているのか起きているのかは自分でもよくわからないほどだった。
途中で一度、あまりにもうるさい叫び声に目を覚まされた。どうやら夫婦喧嘩が始まったらしく、ちょっと離れたところで夫婦が殴り合っていた。その光景の一瞬をも逃すまいと、みんな席から立ち上がり、必死に見ていた。殴り合いが終わると、今度は口喧嘩に代わり、こちらも延々と続いた。
‥‥そうやって朝を迎え、窓の外を眺めると、景色が大分代わっていた。緑が増えているし、植物といい、山の形といい、トロピカルな感じになってきている。窓を開けてみると、気候もすっかりトロピカルになっていた。
まだ朝早い時間に、ある駅で10人以上から成り立っている大家族が我々の車両に乗ってきた。あんちゃんらがいなくなってから、我々の前の席は空いていた(途中で変なおばちゃんが座ってきたりもしていたが‥‥)が、この大家族の最も最高年齢のおばあさまと、幼児連れのお母さんが乗ってきた。幼児はものすごく可愛かった。ずっと眺めていると、お母さんが恥ずかしそうに笑ってからお父さんと席を交換して、いなくなった。だが、その後も幼児の写真を撮ろうとしたりすると、お母さんは明るく撮らせてくれ、悪い人ではなさそうだった。
僕らの向こう側に座っていたおばあさまがひたすら何かを食べていた。みかんやらおつけものやら焼き鳥やらカップヌードルやら、持ってきたものをすべて必死に食べていた。だが、不思議とちっとも太っておらず、美しい老人だった。
「長時間電車に乗ったら、食うしかないよな」と以前にN兄貴に言われたことを思い出した。
また暑くなったので、少し窓を開けてみると、その瞬間、おばあさまがあらゆるごみを平然と外に放り投げた。その光景に対して思わず声を出して笑ってしまった僕らを見て、おばあさまは少し微笑み返し、みかんを二つくれた。
どうやらこのおばあさまも悪い人ではなさそうだったが、足下に置いてある段ボールが急に動き出したときはさすがにびっくりした。段ボールの中にニワトリが2羽入っているらしく、窮屈そうにしていたのでおばあさまが段ボールのふたを開けてやった。ニワトリが大嫌いな僕はもうそこに座る勇気が出ず、桂林にたどり着くまでの残りの2、3時間を席から離れたところで過ごした。
いやあしかし、本当にいろいろとあった20時間だった‥‥。
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