2011年11月8日火曜日

信陽のスーパーガイド(ちょっとしたケーキ騒ぎの続き)

November 6, 2011. Written in Chengdu, China

  信陽の愛情(ちょっとしたケーキ騒ぎの続き)

 バスの中で出会った23歳の女子大学生は英語を専門にしており、中国人にしては非常に巧みな英語を話していた。
 どこへ行くつもりなのかと聞かれると、いやな思いをしたので一旦宿に戻るつもりだと言った。何があったのかと聞かれ、例のケーキ騒ぎ事件を話した。
「あの人たちのものは買わない方がいいよ、大して美味しくないのに高い値段で売りつけようとするから町の人は誰も買わない」らしい。
「いやなものがあると、私はいつも湖を眺めるの」
「えっ?」と急に、映画みたいな台詞を言われてびっくりした。
「このバスの終点に、南湾って湖があるよ。よかったら、案内するけど?」

 南湾は信陽市内の数少ない観光地の一つ。そのせいか、入場料は80元と馬鹿みたいに高い。だが、地元の彼女は無料で入れる裏道を知っているらしく、二人で田んぼの真っただ中の険しい道を歩いた。しばらくすると大きなダムにたどり着いた。彼女の父親は建築家らしく、このダムのデザインにも関わった信陽ではちょっとしたステータスの持ち主らしい。
 それはそうと、ダムまでたどり着いたのは良いが、湖へと続く階段の前にはガードが立っており、チケットがないと昇れないようだ。
「あなたは急いで昇っていって」と彼女は言って、ガードを呼んで話しかけた。僕は一切後ろを振り向かず、長い階段を昇った。ガードの叫び声が一度聞こえたが無視した。上にたどり着くと振り向いた。彼女はまだガードと話している。僕は目の前に広がる清らかな湖をしばらく眺めて、写真を撮った。またしても後ろを振り返ると、彼女も昇ってきていることに気がついた。きっと僕を呼び戻すように言われたのだろう。だが、彼女が上に到着すると、階段の上に腰掛け、ここでしばらく休んでいようと言い出した。上まで行かない限り、ここに座っていても文句を言われないらしい。そして、ガードがよそ見をする瞬間を狙って、二人で上まで行き、湖沿いにしばらく散歩した。
 湖を出ると、今度は暗くなりかけた町を歩き、彼女は一つ一つ町の有名なスポットを紹介してくれた。中には「お茶の館」や「信陽レインボーブリッジ」などがあった。彼女はとにかく自分の町が紹介したくて溜まらないらしい。バスの中で彼女に出会って間もないことに言われたことを考えると、無理もないかもしれない。
「生まれてずっと23年間信陽に住んでるけど、あなたのような海外からの旅行者を見たのは初めて」と彼女が言ったのだった。
 彼女は今まで「外」の人間と関わったことがないのだった。そして、僕は彼女にとって一人目の「外」の人間なのだ。そのことを光栄に思い、彼女の一つ一つの丁寧な説明を真剣に聞くことにした。
 
 夜は僕の宿(そして、彼女の大学寮)の近くの彼女のおすすめ屋台で夕食を食べた。その後、僕は彼女を寮に送り、別れた。まじめな学生である彼女は翌日学校だったが、4時半以降なら案内できると言った。その前には山を見てきたらいいよ、と彼女は言った。
 帰りには、親切な焼き鳥おじさんに鶏腿串を一つ焼いてもらって「また明日来ます」と言った。

 こんなにも情熱を持って自分の町を紹介してくれる彼女に対して、私は自分でいろいろと見て回る責任を強く感じたが、あまりにも疲れていて寝坊してしまい、ひどく罪悪感がわきながらも、宿でゆっくりすることにした。
 4時半に約束の場所で彼女と再会すると、まず最初にそのことを詫びた。だが、彼女は「気にしないでください。疲れていたはずだから、ゆっくり休めてよかったね」と言ってくれた。
 その日、彼女は信陽市の美食街を案内してくれた。中国のどの町にも、美味しい匂いのする様々な食べ物を売っている屋台の美食街があり、北京や洛陽などでは一人で経験しているが、案内してくれる人がいるとやっぱり違う。地元の人たちが一番好む店を紹介してくれるし、どんな料理なのかをも説明してくれる。一つ一つ何もかもを説明されると疲れるときもあるが、自分の町を見せたいという彼女の素直な気持ちがよく伝わってき、全部最後までちゃんと聞いた。
 
 信陽での三日目は、前日行けなかった信陽からバスで1時間ちょっとの距離にある山へ案内してもらった。バスの中で、彼女と同じ大学に通う3人組と出会い、一緒に行動した。そのうちの二人はいかにも真面目そうな女の子で、もう一人はちょっと変わった雰囲気の細い男だった。これで本当に中国人に囲まれたなと思った。一緒に来ているガイドの彼女さんが立派な英語を話すのが唯一の救い。新しく知り合った3人は歩くペースが遅く、途中で何度も追いつかなくなったが、どこかでしばらく休んだりしているとまた再会するのだった。いつのまにか中国地方の大学生のちょっとした遠足に参加できることは貴重な体験だったし、きれいな山景色も満喫できた。途中には泉があって、子ども以来に大自然の水を口にした。

 翌日も、21時に信陽を出るまで、彼女が博物館を案内してくれたり、植物公園を紹介してくれた。博物館が苦手な僕にとっては、出発してから初めての博物館だった。普段自分で来ないようなところだったが、意外に面白かった。そして、駅まで送ってもらって彼女にお礼を言うと何よりも強く感じたのは、地元の人の愛情がいかに町を美しく見せることができるかだった。
 ケーキ騒ぎなんてとうの昔のように思えた。
 

2011年11月5日土曜日

ちょっとしたケーキ騒ぎ

November 5, 2011. Written in Shinyang, China.

ちょっとしたケーキ騒ぎ

 武術学校を出て、次に向かったのは河南県最南の町、信陽だった。特に何かがあるわけではないが、少しずつ南に移動し、寒くなる前に桂林にたどり着こうということでなんとなく決めたことだった。
少林寺からはまずバスに乗り、2時間少々で河南県の県庁所在地、鄭州に到着。北京にも負けずの大都会だったが、何も見ることなく次は電車で信陽に移動。信陽までは4、5時間と聞いていたが、本当のところはよくわからない。車内で中国人カップルに話しかけられ、同じ信陽に向かっていることがわかった。女の方は信陽の大学に通っており、鄭州在住の彼氏と信陽で週末を過ごす予定らしい。大学付近に安い宿があるから紹介するよ、と二人に誘われ、11時すぎの到着後、二人とタクシーに乗る。大学の裏門らしくところで降りて、まだ営業中の屋台串屋さんで夜食を済ます。「オランダにもこういう料理はあるのかい?」と屋台主のおじさんに聞かれて、「ないです」と答えると、それなら良いビジネスができそうだねと優しそうな笑顔を見せられた。鶏腿の串はスパイスがよく効いていてうまいし、おじさんも愛想がいいからこの町にいる間はここを夜食の行きつけにしようと決めた。
 宿は中国によくある「招待所」というシンプルなホテルだが、こちらも店主の愛想が良いし、ネットも使えるし、ダブルベッドの個室なのになんと一泊がたったの20元(200円)!案内してくれたカップルも、男は女子寮に入れないから二人でこの招待所に泊まる。

 翌日は、観光する気満々でとりあえずバスに乗って駅まで行った。カップルに聞いたが、バスで1時間くらいの距離にきれいな山があるらしい。駅につくと、お腹が空いたので何かを食べてみようと思ったが、近くにはお店があまりないようだ。唯一あるのが、大きな大きなケーキを売っているムスリム系の人たちの屋台だ。これを少しだけ食べて、あとでゆっくり昼食をとろうと思い、ムスリム系のおじさんに「いくらですか」と下手な中国語で聞く。男の答えはよくわからないが、どうやらグラムによって違うようだ。手で「本の少し」と示した。すると、ノートパソコンくらいのでかさを切られて、思わず「ノー、ノー!」と叫んだ。
「本の少しですよ」ともう一度説明しょうとした。だが、男は面倒くさそうに頭をふった。これを買えということらしい。とりあえず値段を効いてみた。
「300元(3000円くらい)だよ!」と答えられた。そんなの払えるわけないじゃないか。断ってその場を去ろうとすると手に持っていたジャージを急に取られた。ケーキを買わないと返す気はないらしい。
「金を出せ!」らしきことをひたすら大声で叫ばれた。気が着くと、周りに30人くらいの通過人があつまり、面白おかしそうにこのケーキ騒ぎを眺めている。50元なら払うけど、それ以上は一切払えないと言ってみた。すると男は「ばかにするな」といわんばかりに僕の胸元をつかんだ。「おいおい、落ち着けよ」と通過人はおじさんに言う。あれこれと文句を言いながらも、おじさんが結局ケーキを半分に切り、50元で売ってくれた。お茶ぼったくり事件ほどではないが、またしてもやられたなと思い、気分が悪くなった。だけど、たったの50元でよかった。
 
 一旦宿に帰ろうと思い、再度バスに乗った。バスの中で大して美味しくもない高いケーキを食べていると、隣の女の子に話しかけられた。
「大学の新しい英語の先生ですか?」と。
いい人なのかどうかはわからないし、人を信頼することなんて中国にきてからできなくなった。だけど、いやな思いをした後に誰かと話すのも悪くない。
「いや、違います。ただ旅行者です」と答えておいた。

2011年11月4日金曜日

少林寺伝統武術学院 日本語総まとめ

November 4, 2011. Written in Xi'an, China.

 少林寺伝統武術学院 日本語総まとめ

 少林寺の登封市では武術が日常生活の一部である。子どもを武術学校に行かせるのも、小学校に行かせるみたいにごく普通のことで、町中は武術学校であふれている。武術を目当てに功夫好きな外国人もたくさんいる。だが、地元の人たちが持つ武術のイメージはそれほど神秘的なものでもなく、下階級の人たちが行うもの、といったところかもしれない。だが、同時に、この中国特有の独特な文化を誇りに思っている人たちもまたいるようだ。
 それはそうと、大きな武術学校はみんなすっかり観光地化しており、外国人向けのプログラムがある。入門すれば外国人同士で修練し、中国人の門下生とのふれ合いはないに等しい。おまけに、めちゃくちゃ高い。他の外国人と功夫をやりに、わざわざ中国まで来ることはないだろうに、というのが僕の気持ちで、入門する気にはならなかった。
 あきらめて、次の町に移動しようと思ったそのとき、普段観光客が来ないような、町から少し離れたところにある武術学校が見つかった。そこには外国人の気配もなければ、観光地化した気配もない。ここでなら、修行しても良いと思った。生徒は100人くらいいる学校で、数千人いる他の武術学校と比べると、かなり小さい。雰囲気もアットホームで、軍隊チックな空気が漂う他の学校とはまるで雰囲気が違う。一人のイギリス人と一人の韓国人をのぞいて、門下生はみんな中国人。しかも、16歳の韓国人は人生の大半を中国で過ごしており、韓国人独特の顔をしているとはいえ、外国人とはちょっと呼べない。19歳のイギリス人はもう3年間この学校で暮らしており、流暢な中国語を話す好青年だった。私はこの二人と同じ部屋で泊まることになった。門下生の年齢はだいたい7歳~18歳までが主で、師匠を除いた指導員もみんな僕より年下だった。

 当武術学校の師匠は少林寺功夫の有名な陽先生の一番弟子で、少林寺の伝統を忠実に守ろうとする魅力的な武術家だった。そのため、当学校では「伝統功夫クラス」がなんといっても主流だった。その他にも、映画やショーに向けた「パーフォーマンスクラス」と、功夫をキックボクシングのように競技化した「散打クラス」があった。中国人や長期滞在の外国人はどちらかのクラスに帰属しながらも全分野を学ぶが、短期滞在の僕は集中的に散打を学ぶことにした。パーフォーマンスクラスには興味がないし、伝統功夫に触れたい気持ちはあったが短期じゃ難しいと思った。

 練習は月曜日から土曜日まで毎日行われ、一日3回稽古がある。最初の早朝稽古は5時半から始まるので、5時20分の目覚まし時計が一日の始まりを知らせる。なんとかして起きると、顔も洗わずに功夫着に着替え、その上にジャージを来て外に出る。寒いし、まだ真っ暗だが、外の広場には全校生が整列して稽古が始まるのを待っている。日によっては違うが、早朝稽古は大抵ランニングから始まり、功夫の技よりも、基礎体力を養うのが目的だ。最初はとにかく怠いが、山に向かって列に走り、美しい山景色が少しずつ見えてくると、起きるのが苦手な僕でさえも朝のありがたみがわかった気になった。ジョッギングが終わると、今度はダッシュや腕立てやわに歩きやうさぎ飛びなどが始まる。昼間もこのような練習をすることがあるが、まだぼおっとしているせいか、朝は一番きつく感じる。再度ジョッギングして学校に戻ると、早朝稽古は7時前に終わり、朝食の時間になる。朝はだいたい肉まんとちょっとした野菜炒め、それからゆで卵が出る。食べた後は部屋に戻り、8時から始まる朝稽古まで休む。誰もしゃべる気にならず、再度ベッドに入って少しでも眠る。8時からは、大半の門下生は一般教育の時間になるが、そうでない人は2時間の自主練だ。義務教育(そんなものが中国にあるかどうか、よくわからないが)を終えた門下生に混ざって、僕も師匠に課題を与えられ、練習に励む。もっと縦の蹴りを意識するようにいわれ、ひたすら木に向かって前蹴りを蹴り込んだりしていた。自主練であるから、この稽古はそこまできつくなく、好きなときに休憩もできるから気楽である。10時にチャイムが鳴り、一般教育の時間が終わると、自主錬生の我々も解放され、2時から始まる午後の稽古まではフリーである。11時半は昼食の時間だが、疲れ果ててそれまでは部屋で昼寝している。昼食はだいたい米に鶏肉の串料理や炒め物が出て、夕飯はこの残りといった感じだ。食後は部屋でゲームやるか、外で卓球をやったりしてリラックスする。この時間に、門下生と仲良くなれるので疲れていても寝ることなく、積極的に遊んだ。そして、一日のメインの稽古は2時から始まり、夕方5時半まで3時間半続く。日本で慣れている空手の稽古と大きく違うのは、一回の稽古がオールラウンドではなく、徹底的に一種目だけを行うところだ。たとえば、サンドバッグの日であればサンドバッグの日だし、スパーリングの日であればスパーリングの日。2時から4時まで休むことなく時間を設定することもなく、ひたすら同じことをやっているわけだ。そして、4時に15分の休憩をした後にまた戻ると、また同じことがさらに1時間以上続くわけだ。僕にとっての一日目はミットの日だったわけだが、終わると手が筋肉痛で震え、夕飯の際、お箸が持てないほどだった。本数もなければ時間も設定していないので、いつ終わるかがわからないので精神的にも苦痛であり、この稽古はダントツで一番きつく感じた。
 食後はまたフリーで、部屋に戻って再度みんなでゲームしたり映画を見たりし、10時頃に電気を消して就寝。
 こんな一日が(日曜日を除いて)ひたすら続くわけだ。日本で日頃空手の稽古に励んでいたので、体力には自信があったが、それでもかなり辛くきつかった。このメニューを何年も続けている中国人を見直さないわけにはいかなかった。だが、多くの門下生は自分の希望で入門しているわけではなく、拾われた孤児だったり親に無理やり生かされた子たちだったりするので、きついメニューをこなしても、功夫に対する情熱や意欲性をあまり感じなかった。そのせいか、強い身体や優れた技術を得ても、スパーリングとなるとさほど強くなかった。教わったことを丸ごとこなしているだけで、そこに独自の発送や工夫がまるで見当たらないのが残念だったし、勇気も感じられなかった。

 たった2週間で門下生との絆も深まり、家族の匂いが漂う団体生活は何にも代えられない貴重な体験だった。が、同時に、あまりのきつさに、あと何日だろうかと毎日数えていたのも事実であり、漸く最終日が来たときは正直いって解放されて嬉しい気持ちもなくはなかった。だが、師匠にバスステーションまで送ってもらって別れた直後、すぐに寂しい気持ちで胸がいっぱいになり、もっと長くいてもよかったなと強く思った。
 
 寂しく思うたびにこう考えることにしている。旅は人に出会う場であるのと同じように、人と別れる場でもある。明日の今頃には、きっとまた別の誰かと素敵な出会いをしていることだろう、と。

2011年10月31日月曜日

少林寺伝統武術学院 写真集

October 31, 2011.Written in Shinyang, China.

少林寺伝統武術学院 写真集


学校の広場。こう見えても、少林寺の武術学校にしてはかなり小さい。基本はこの広場で練習を行う‥‥

‥‥が、雨天の場合はこうして「練功房」で練習する。

この二人と同じ部屋に泊まった。学校に滞在する外国人はこの二人だけ(韓国人にイギリス人)。今ではとても大切な仲間です!
それから短期滞在のオランダ人が数日来た。こちらは体重無差別の卓球大会。
この少年が僕と同時期に入門した(滞在予定期間は僕と違って数年だが)。とても仲良くなった。
こちらが散打コーチ。主にこの人に教えてもらった。とても格好いい人だが残念ながら写真写りが悪い。
当武術学校の師範。素晴らしい人間性を持った真の武術家だった。中国の武術界ではちょっとした有名人らしい。たった2週間だったが、とても尊敬するようになった。ちなみに後ろにあるのは、当学校に残された少林寺の古い技書だ。
最終日の練習風景。一番硬い人はだあれ?
前蹴上げの練習。極真と同様、毎日必ず行われる。
この写真、よく取れてると思うのは自分だけだろうか?ちなみにダッシュの本数は半端ない!
固い岩の上で拳立て。道場の柔らかい畳が懐かしいよぅ!!!
サンドバッグの打ち込み。ラウンドも何もなく延々と続くので一気に息を上げないように要注意!
 サンドバッグがやっと終わったと思うと、今度はミット。こちらも一時間以上は続く。
暑くなるとみんなTシャツを脱ぐ。
来たときはまったくできなかったのに2週間でなんとかできるようになった。この写真は力が尽きた後で腕を曲げてしまっているが‥‥。
稽古後はいつもこんな感じ。韓国人のH君は稽古中もこんな感じだが‥‥。


散打少年よ、さようなら!また再会できる日まで。

あれこれとお知らせ

あれこれとお知らせ

1.日本語圏のみなさん、お久しぶりです! ここ2週間日本語の記事がなかったと思いますが、少林寺の武術学校で日本語入力ができなかったためです。

2. 一昨日、武術学校を出ましたので今後再び日本語の記事を書きます。どうぞお楽しみに!

3. 日本語圏の皆さんにも武術学校での体験を少しでも紹介するために、ちょっとした写真集と、日本語の総まとめを書くつもりです。

今後とも「3カ国語で世界一周」をどうぞよろしくお願いします!

2011年10月27日木曜日

Drinking tea and having lunch with the devils

October 27, 2011. Written in Dengfeng, China.

On our day off on Sunday, Michael, Hanwei, Rutger and me went downtown and bought ourselves some dinner at "Barbarian heaven". When we came back to school in the evening, one of the kids approached us saying something in Chinese to Michael and Hanwei, which resulted in a long and serious discussion. I wondered what it was about, and when I asked Michael he explained me that one of the Chinese kids that has been hanging out with us (the foreigners) had been bullied because of it. They called him a traitor to China, because he was hanging out with the "devils". Michael seemded very pissed about this; not because we were called "devils", but because it was sad that a boy would be bullied just because he was hanging out with foreigners. Gladly, though, the boy didn't seem to care and kept on hanging out with us anyway.

Shortly after that, the Master came to our room and invited us to come to his room and have some tea. I felt very honored, and modestly entered his room. He explained us how expensive Chinese tea can be, but because many people give it to him as a gift he has a huge collection of tea. I told him I knew all too well about tea being expensive in China.
After cooking some hot water, the master first poured half of the tea on the table for some reason. When I asked Michael, he told me that it was part of the ritual when drinking tea in China. When the Master poured some tea into our cups, we had to touch the table twice with two fingers, which is a way to show respect and gratefulness. The Master told us about how he hated it that Shaolin Kungfu has become so commercial the last few decades, and said that he felt it was his task to keep the real traditional Shaolin Kungfu unharmed. Therefore, he has been writing a book about true Shaolin Kungfu. He said that he also wanted to give more foreigners a chance to learn real Shaolin Kungfu in the future, and was therefore planning to create an international school.


On Monday morning, the hard training started again. In between trainings, I had a few sparring sessions with Michael. Apart from Shaolin Kungfu, he has been boxing back in England as well, and therefore his punches to the face were really fast. I also had the chance to spar with the coach who has been teaching me the last two weeks. He is a very quick and skilled fighter. Thanks to all these sparring sessions, I am slowly getting used to giving and taking punches to the face.

On Wednesday evening, we went to the Master's room to tell him that Rutger would leave the next day. The Master invited the four of us to have lunch with him next day before Rutger would leave. In his room, the Master showed us some of his moves. He has an incredible speed. I doubt that I have ever seen anyone that fast. I had to punch him once to the face, and before I knew it he had blocked my punch and gave me three or four back.

When I heard the alarm clock next morning, I really didn't feel like waking up to train. I was just so tired. The other guys in my room seemed to feel the same way, since no one even tried to move. Ah, let's just forget about it today and keep on sleeping, I thought, but when I closed my eyes, I started to feel so bad about myself that I couldn't sleep anymore. I didn't want to go and have lunch with the Master without even training. I jumped out of  my bed, and left the room right away. Michael and Rutger also followed me, but Hanwei kept on sleeping happily in his warm bed.

On our way to lunch in the Master's car, everyone was sarcastically talking about Hanwei being such a serious Kungfu practicioner, but Hanwei didn't seem to care and just kept on laughing together with us. The dinner was great and I ate so much that my belly was about to explode, which made me worried about having to train again in a few hours. I didn't even want to think about it!

2011年10月25日火曜日

The flying Dutchman and the towering Frenchman

October 25, 2011. Written in Dengfeng

On Thursday afternoon, a foreigner came to watch our training. I had been told that he was supposed to enter the school that day, but after training he had already left, and when I asked the Master he told me that the foreigner would come back the next day. Michael was still in Beijing, which made me and Hanwei the only foreign students still at the school (Hanwei not even completely counting as a foreigner.)

During the next early morning training, the foreigner did not show up, which was not really a surprise, since training starts at 5:30 and ends at 6:40. After having had breakfast and rested for some time, the Master made me kick a tree from 8:00 until 10:00. In the meantime, the foreigner arrived and I saw him being guided by one of the students that speak a little (very little) English. When he passed by near me and my tree, I told him that I would be right with him.

When my training was finally finished, on my way back to the room, I bumped into the foreigner again and introduced myself. He turned out to be a Dutch guy as well, aged only 1 year older than me and called Rutger. We were both surprised by this coincidence, especially because I had heard that he was introduced by an American lady. Together we had some lunch, and talked about each other's travelling stories. He was travelling through China with another Dutch friend (who apparently did not feel so much for a week of hard Kungfu training), and had now entered the school for one week out of pure interest. He was not really a Martial Artist, but just a young sports-lover interested in Chinese culture.

He joined me and my Sanda class that afternoon. It was quite different to have another foreigner in the class, especially someone from the same country. He had never punched before and therefore hurt his arm while hitting the mitts, which resulted in his not being able to do any push-ups and punches with his right arm for the next few days.

The next Saturday, we woke up together to go to early morning training, leaving Hanwei in his bed. This day, the Master had not woken up for early morning practice (something that had never happened before) and we left without him. Without the Master's presence though, many of the students were not as serious as usual, which resulted in a mild early morning training.

During the morning training starting from 8:00 until 10:00, my Sanda class kicked some more mitts, and I felt my peak of tiredness coming. Good thing that Saturday was only a half-day, as Michael had told me.

Just when I came back from morning training terribly exhausted, the Master knocked on our door. Oh no! Please tell me it's not the tree again!
He told us to come with him, and lead us into his room. Inside, there were four or five foreigners, one being a huge black guy. The translator in the room told me that he was a French professional NBA player called Mickael Pietrus. He had come here to have a look at the training, and asked me what I had come to do here. The school organised a special show for him and his crew. Me, Hanwei, Rutger and some other students from the school also came to watch this show. Just like the day that the American camera team came, the performance was a lot different from normal practice, but definitely the perfect way to show off. Mickael was really impressed, and said that he wanted to practice too. We talked some more, and I took a picture together with the giant.


After the giant had left, we went back to our room to have some rest. Saturday was supposed to be a half day, so we were now free until Monday morning. The exhausted Rutger fell down on his bed and was sleeping before we knew it. Me and Hanwei were enjoying a few games, until suddenly the school bell rang.
"Isn't the training done for today?" I asked Hanwei.
"Yes, it is," he said, but I knew only too well that for him training never starts.
Shortly after that, I started to hear the students running outside. Somehow, training had started again. I woke up Rutger to tell him this, but he was too tired to go on. He had just arrived the day before, so all this training coming at him at once just was a bit too much.
I left off to Sanda class, and had my afternoon practice from 2:00 to 5:30. As always, my lazy partner didn't want to train, and made me do all sorts of crazy things while he was just resting himself. But somehow, I didn't feel so tired. At some point, when you go beyond your peak, you just forget about everything, and go on and on.

Late that evening, Michael came back from Beijing. Now, for the first time, our room was completely full, and with the 4 of us, I knew that in the next few days we would become a great team.

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