2011年12月21日水曜日

虎跳峡

December 21, 2011. Written in Hong Kong.

虎跳峡 

麗江のホステル「ママナシ」で出会ったグループと虎跳峡という有名なハイキングコースを歩いてきた。二日間かかる、アジアの有名なハイキングコースのひとつだが、麗江からバスで3時間くらいのところにある。小さなバスで、二つに分かれて乗った。

到着すると、もう一台のバスがどこにも見当たらず、しばらく待っても来ないので、仲間の二人ぬきで出発することになった。日本人のSさんとカナダの女の子のTさん二人だが、Sさんが女の子とデートできることをきっと嬉しく思っているのだろうと考えると心が少し楽になった。

出発して早々、馬連れのおじさんに尾行された。今すぐ馬に乗りたくなくても、後で疲れたときに乗って高いお金を払うんじゃないかと期待してのことだ。そんなわけで、どこまでいっても、必ず馬のおじさんがすぐ後ろについて来るわけだ。少し休んでいると「ここは岩が落ちてくるから早く進みなさい」というようなことを言ってくる。もちろんわれわれを休ませないで、早く疲れさせるためのトリックだ。
日本女性のKさんは後で馬に乗ってしまうのではないかと心配していたが「疲れた」と何度も口にしたとはいえ、馬に乗ることなく最後までがんばって歩いた。

アメリカのRさんはグループを待たずにてくてくと進んでいき、気がついたらもう見えなくなっていた。

途中で眺めのきれいな場所があって、写真を撮るのにお金を請求するおばさんがいた。もちろん非公式にやっていることで、払うわけなどない。だが、払わずに通り過ぎようとすると、おばさんがおっかけてきて、服を掴んだり唾を吐いたりした。
これぞまさに中国といった感じだ!

数時間歩いた後はお昼を食べることにした。馬おじさんも、もちろん一緒に休憩することになった。
食べ終わって、そろそろまた行こうというときに、SさんとTさんがやってきた。僕の予想通りで、デート気分で楽しそうだったので、二人が食べ終わるまで待たずに進むことにした。
 馬おじさんには、トイレに行くように見せかけて出発した。見事成功し、これで始めて誰にもせかされることなく景色が楽しめた。

山道はどんどん急になり、Kさんの他、Lさん(中国の女の子)もきつそうだった。何回も休憩することになり、暗くなる前にちゃんと宿にたどり着くかどうか心配になった。

そして、途中で手紙を発見!風に吹かれないように、重い石の下に置いてあった。先にいってしまったアメリカのRさんからの手紙だった。
「ホステルまで行って待ってるから急げ」とのこと。それから、日本語で「ガンバロー」とも。日本で3ヶ月ボランティア活動をした彼は、必死に日本語を覚えようとしていた。

この手紙に元気付けられたか、グループはその後一気にスピードを上げた。アメリカ人のおかげで、どうにか夜までに着きそうだった。

中国人のLさんに中国語をあれこれ教わり、必死に覚えようとしていると、後ろから「追いついたぞお!!」と叫ぶ日本人のSさんがいた。デート相手のカナダ人女性も元気よくついてきている。
「遅すぎじゃないか?」と言う彼らに対して、紳士らしく女性のペースに合わせているだけだと答えておいた。

山道途中のホステルにたどり着いたのは夜7時くらいだった。ところが「アメリカ人がチェックインしませんでしたか?」と聞くと、ホステルの人たちは記憶にないと言う。これを聞いて焦ってしまい、みんなでどうするかと話し合った。何かがあったのかもしれない。探しに行くべきだ。だが、その前に、言い方を変えてもう一度聞いてみることにした。
「長い髭を生やしたイエス様みたいな人、チェックインしませんでしたか?」と。
「ああ、彼なら食堂にいますよ!」とすぐに答えが返ってきた。

夜、楽しく食事した後、グループ全員で貸切のドミに泊まった。山道を長時間歩いたからか、すぐに深い眠りに入った。寝入ったのは9時すぎだったと思うが、翌朝の9時頃まで、12時間たっぷり眠った。

そしてなんと、僕は中国語で寝言を言ったらしい。ちょっと恥ずかしかったが、同時に中国語で寝言を言ったことはちょっとした自慢でもあった。

二日目もひたすら山道が続いたが、ほとんど下りだったので楽だった。道の途中に滝があり、アメリカのイエス様が上半身裸になり、滝浴びをした。自然とはすばらしい!

そして、3、4時間でやっとハイキングコースをクリア!
¨¨と言いたいところだが、川の下まで下りる道がさらにあって、虎飛峡のハイライトらしいので、いかないわけにはいけなかった。女性のKさんとTさんが先に行き、男4人(アメリカのRさんに日本のSさんにドイツのLくんに僕)のわれわれは食堂で美味しいチキンサンドイッチを食べてから行くことにした。中国人のLさんだけは疲れたらしく、一人で食堂に残った。

川まで下りる道には非公式でお金を取ろうとするおばさんがいて、払わないで進もうとすると追いかけてき、一切通してくれなかった。だが、こういう 泥棒らしき行為を軽々と認めたくないために、引き返すふりをして、柵を越えて進むことにした。ところが、柵を越えようとしているところを見られ、またおっかけられそうになると、日本のSさんが、それぞれ別の方向に走って相手を混乱させることを提案した。最初はうまくいきそうだったが、アメリカのRさん以外に、われわれが走っていった道はみんな崖へ続いていたので、どこへもいけなくなってしまい、結局あきらめねばならなかった。

われわれの取った行動に対して怒ったおばさんを、日本のSさんが面白おかしそうにあざ笑った。するとおばさんがさらに怒り、Sさんを睨み、彼の服に唾を吐いた。
「せめて半額で通してくれ」とドイツのLくんが言うと、あんたら3人はいいが、日本の彼は全額を払わないと通さないらしいことを言われた。というわけで、かわいそうなSさんだけが高い高い10元(って、実はたったの100円だが)を払うことになってしまった。100円のために、こんな大騒ぎになったわけだ。

川まで下りる道は予想した以上に長く、しかも険しかった。途中にすごく長い梯子があり、女性のKさんとTさんがちょうど上ってきているところだった。

「バスの時間まであとちょっとだから急いでね」と、通りすがりに言われた。
梯子から下りるのが怖く、最後までどきどきした。ところが、日本のSさんは平気みたいで、写真を撮ると格好までつけてきた。

川付近の景色はきれいで、おばさんと騒ぐだけの価値はあった。川の流れが相当強く、ほとんど滝みたいで、奥が山景色になっていた。

だが、残念ながらゆっくりとは見ていられなかった。それどころか、バスに間に合うように上まで走って戻らなければならなかった。おばさんと騒いでしまったせいで時間がなくなってしまった。
体力を試すいい機会だと思って、上に到着するまでずっと走り続けることを自分に誓った。途中の梯子もなるべく早く上り、道がどれだけ急でも、ひたすら走り続けた。他の3人を後ろに残し、はあはあいいながらも進んだ。そして、あと少しというところで、KさんとTさんに追いつき、一緒に上までいき、他の3人が戻ってくるのを待った。

ぎりぎりバスに間に合い、麗江のママナシに帰った。

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