2011年12月1日木曜日

竹いかだの旅

December 1, 2011. Written in Yangshuo, Guilin, China.

竹いかだの旅

興坪の村で農家の庭に放置されていた竹いかだを300元(約3000円)で手に入れた。宿の林さんに勧められて、村でチェーンと鍵を買い、くっつけた。バックパックを3重にしてビニール袋に入れ、空手の帯で竹いかだに縛り付けた。

それ以外、これといった準備もせずに、午後2時頃、陽朔に向かって出発した。林一家が港まで降りて、手を振ってくれた。

陽朔まで凡そ20キロの距離のはずだが、正確のところはよくわからない。
竹いかだに乗っているだけで水がたくさん入ってくるので、水着を着ることに。移動速度はとても遅く、歩いた方がまだ速いのかもしれない。大きい客船が通過する度に、波に激しく揺られて、傾けないようにするのに必死だった。
だが、美しい景色を眺めながらのんびり移動しているのは想像した通り最高の気分だった。景色を横から眺めているのではなく、そのど真ん中にいるから、楽しみが増すわけだし、まるで風景と一体化するような錯覚に囚われる。ところが、通りすがりの客船の中国人が大声で「ハロー!」と声をかけたり、手を振ったり、写真を撮ったりすると、さすがに現実に呼び戻される。桂林の自然と一体化するのは良いが、観光名物になるのは少し気が引ける。

進んでいくと、少しずつ静かになった。客船もあまり通らなくなったし、川の岸に立って写真を撮る観光客の気配もない。人といえば、川で洗濯物している地元のおばさんたちと、僕と同じような竹いかだに乗る漁師くらいだ。
 そんな景色がしばらく続くと、水に浸かっている数頭の水牛を発見。近くで写真を撮ろうとすると、一頭が怒ったように睨み、突進る素振りを見せた。慌てて水が深いところまで漕ぎぎりぎりかわせたが、本当に危ないところだった。
                                                            
 そして、ちょうど落ち着きを取り戻したと思ったら、今度は川の岸で何かを叫んでいるおばちゃんがいる。何を言っているのかがわからなかったが、しばらく無視していてもひたすら叫び続けているので、「知りません!」っていう意味を込めて手を跳ね除けると、太ももに載せていたカメラに触れてしまい、見事に川に落としてしまった。船を岸にとめて、Tシャツを脱ぎもせずに川に飛び込んだが、海草のせいでカメラなんて見えやしない。

 30分後、仕方なくあきらめ、再度出発した。ひたすらおばちゃんに対してぶつぶつ独り言のような文句をこぼしながら、まだかまだかと首を長くしていたが、町は一向に見えてこなかった。少しずつ暗くなってしまい、7時半頃に何も見えなくなるととうとうあきらめ、竹いかだを岸にとめ、できるだけ暖かい服を着て、翌朝まで待つことにした。暖かい服を着ていても寒いから、その当たりで木をたくさん拾い、焚き火を作ることにした。桂林市から出発した日にコンビニで買ったライターをかばんから取り出して、火をつけようとしたが、火がまったく出ない。さすがは中国の製品! 
仕方ないので、代わりに携帯ゲーム機の電気をつけて、少しでも明るくなるようにした。竹いかだの上で横になって、明るくなるまで待つしかなかった。一度バイクでおじさんが通ってきたが、それ以外に人の気配はまるでなかった。
眠るのには寒すぎるし、かといって他にすることもないので、携帯ゲーム機でひたすら自分の声を録音してみた。だが、それもあきると、ただ星を眺めているだけしかすることが思いつかなくなった。星空はとてもきれいで、流れ星が10秒おきに見えるのが、この状態では唯一の救いだった。でも遠くに狼の吼え声が聞えてくるし、とても落ち着いて見ていられない。

時間が進むのがあまりにも遅いので、今までの旅路を最初から最後まで思い出すことにした。思ってみれば、いろんなことを経験したんだな、と思った。いろんな人に出会えたし、きっと知らぬうちに成長したのに違いない。なぜか、今日この日が旅全体にとっても、大きな通過点である気がした。初めての野宿。初めての自然との一体化。そんなことを考えていると、もう11時半になっていた。ここに来てから、約3時間が経過したわけか。明るくなるまで、あと8時間少々。考えるだけでぞっとした。

 遠くに懐中電灯らしきものの光が見えてきた。犬の吼え声も。少しずつ近づいてきている。誰でもいいが、泥棒と警察だけはやめてくれ、そう必死に祈った。犬が3匹走っているようだった。懐中電灯を手に持った人物の正体は最後までわからない。こうきたら、こっちから声をかけるしかない。相手の反応に基づいて、心構えを決める。
「ニーハオ」とおそるおそる、言った。
「ニーハオ」と返ってくる。優しい響きのする、年中の男性の声だった。少し安心した。男が懐中電灯で自分の顔を照らし、微笑んで見せた。
 数時間前、ここをバイクで通り過ぎた男だった。手にジャケットを持っていた。
「寒いだろ? ほら、着てみ」それらしいことを言って、彼が僕に上着を渡した。
「謝謝」と私は男に、深く感謝して言った。
「君は僕の友達だから、当たり前のことをしたまでさ」彼がそう言っていることが、なんとか理解できた。
 彼がその次に口にしたことは理解できなかったが、竹いかだを指していることから、おそらくここで何をしているのかと聞いているらしい。
「明日、陽朔へ行きます」と言った。
「寒くないか? ご飯食べてないじゃないの?」
「寒いですが、大丈夫です」
 男がどこか遠くを指ざし、手でご飯を食べる素振りを見せた。僕を自分の家に連れてってくれるらしい。ついていきたいのは山々だったが、竹いかだが盗まれるのが心配だったので、断った。だが、何度断っても男は粘った。よっぽど世話がしたいらしい。30分たってもまだあきらめないので、竹いかだを置いてついていくことにした。盗まれてしまえば、またそのときにどうするかを考えれば良い。

10分か15分、足元を照らしながら、男と川沿いの真っ暗な平原を歩いた。犬は元気よく我々の前を走る。そして、村らしきところにたどり着くと、川から少し離れたところまで歩いた。そこには男の家があった。古い古い中国の民家で、50年昔に戻ったかのようだった。居間に座らされ、鴨の卵を鍋で焼いてもらった。カメラを川に落としたばかりで、残念ながらこの民家の写真も男の写真もないが、本当に素敵な体験だった。
 卵を食べ終わると、男が誇らしげに、古い冷蔵庫磁石を持ってきた。磁石の上には都会の絵があり、「Chicago」と書いてあった。男の宝物らしい。
「これ、知ってます」と、「Chicago」の字を指して、男に言った。
「そう、それは英語です」と男は言った。
確かにその通り、それは英語だが…。

その後も、男が長いことしゃべり続けた。わからないことだらけだったが、彼が何度も繰り返して言ったのは「我々は親友だから」ということと「オランダ人が中国へ来るとはなあ」ということだった。この男は外国人との交流自体が、初めてなのかもしれない。
ふと、外国へ行ったことがあるかどうか、聞いてみた。男は桂林を出たことすらない、と言った。もちろん馬鹿な質問だった。中国の田舎の農家が外国へ行くわけなどない。
 この村のことをなるべくたくさん聞いてみた。高州という、興坪と陽坪のちょうど間に位置する人口700人の村らしい。学校はない。子どもはみんな、畑仕事のお手伝いをする。パソコンなどもちろんなく、インターネットという概念は存在しない。聞き出せたのはそれくらいだった。

2時少し前に、男が僕を寝室に案内してくれた。それは電気のない真っ暗な狭い部屋で、豚が一頭自由に歩き回っていた。
「豚は何もしないから安心しな」と、それらしいことを男が言った。
ベッドは、石の上に毛布が置いてあるだけだったが、掛け布団があるだけでもうれしかった。そして、豚の鳴き声なんて気にせずに、気がついたら深く寝入っていた。

 翌朝7時頃に、男が起こしに来て、僕を居間に案内した。そこで彼は豚肉を切っていたが、寝室の豚が起きてもまだ元気に歩き回っていたことから、どうやら違う豚らしいと判断した。
 肉を切ってから、もやしと一緒に鍋に入れて、炒めて食べた。あまりお腹が空いていなかったが、頑張って全部食べた。
 そして、支度してから、男が昨日竹いかだを置いていったところまで案内してくれた。昨夜は真っ暗で何も見えなかったが、自分がどのような村で眠ったのか、今となって初めて見ることができた。それは現代文明に汚されていない、伝統的な中国の農村だった。人々は伝統服を着こなし、牛を引っ張って畑を耕したり、井戸で水を組んだりしていた。こんな村が見られたことに感謝した。昨夜男に拾われるまでの様々な苦労も全部忘れられた。  

 昨夜やったように、男と川沿いの平原をしばらく歩いていると、遠くに竹いかだが見えた。誰も盗まなかったのだ!
 男が僕を竹いかだに乗せて、川へ押しやり、心地よく手を振ってくれた。
「さようなら、わが親友!」彼はそう言って、僕がずいぶん遠くまで進んでもまだそこに立ったまま手を振り続けていた。

 陽朔まであと7キロらしい。まだまだ遠いが、急いで向かえば2時前に着くはずだ。景色を楽しみながらも、我を忘れて休まずに漕いだ。何メートル進んだかを数えることにした。川の流れが弱いときは、一回漕げば1メートル。強いときは一回につき、2,3メートル。この数え方に信憑性などもちろんなかったが、精神的に楽になった。
数時間進んだあと、通りすがりの漁師に「陽朔まであと何キロですか?」と聞いたら「2キロだよ」という答えが出て、少し自信がついた。あと少しだ! 
さらに1時間くらい進んで、岸でトランペットを吹いている男がいた。僕が竹いかだで通り過ぎると、男が口元をトランペットから放し「ハロー!」と言った。
「陽朔まで後どれくらいですか?」と彼にも聞いてみた。
「2キロくらいだよ!」と男が答えた。
どうやら、自分で進んだ距離を数えた方が達成感があるようだ。
 この後、当たりが大分にぎやかになってきた。客船も増えたし、ホテルらしき建物もちらほら見当たる。遠くに町らしきものが見えた。陽朔だ!
 12時頃にようやく着くと、僕の数えたメートルはちょうど6200になっていた。疲れ果てた様子で竹いかだから降り、鞄を背負った。

さて、宿を探そうじゃないか!

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