田舎の老人たち
桂林を後にして、Lくんというドイツ人の友人と合流するために、日本人のKさんとともに雲南県の麗江に向かった。20時間の普通席列車で昆明に到着し、その夜、さらに10時間の寝台夜行列車に乗った。旅して3ヶ月、寝台車に乗ったのは今回が初めてで、普通席とは比べ物にならないくらい快適だった。
ところが、そこからどうやって「ママナシ」というLくんが泊まっているホステルへ向かえばよいかがわからず、寒い中で長いこと街中を彷徨った。誰に聞いてもママナシを知っている人がいないので、Lくんに電話した方が早いと判断。しかし、公衆電話はどこにも見当たらないし、通りすがりのホテルや旅行会社で貸してもらおうとすると繰り返し断られた。そこでとある売店に入り「公衆電話はどこですか」と聞くと、優しい店員が携帯電話を貸してくれた。
Lくんとバスで停待ち合わせして、ママナシまで案内してもらった。ママさん(いいえ、スナックなんかじゃありません)が暖かいお茶を出してくれて、凍りかけた身体が生き返った。
そんなことをしていると、僕らの隣に座って同じく寒そうにお茶を飲んでいる髭を生やした白人が声をかけた。
「日本から来たんですか?」と英語で。「僕もつい先月までは大船渡でボランティア活動してました」と。
しばらく彼とも楽しく話していると、今度は髪の長い日本人らしい顔の男性がこちらをちらほら見ている。
「ここ日本組みっすかあ?」と言って参入する。
そのちょっと後に、Lくんの新たな友人である、中国人女性のLさんもシャワーからあがってきた。
到着して早々、なかなかにぎやかだ。
みんなでとなりのババ屋さんで朝食を取ることに。ババとは卵と粉からできたパンケーキみたいなもので、中にいろんな野菜が入っている。麗江に来て、Lくんの大好物になったらしく、中国女性のLさんからババマンと呼ばれているようだ。
朝食後、しばらく休憩し、その後はみんなでサイクリングツアーすることに。ママナシには貸し出しようの自転車があり、安く貸してくれるのはよいが、良い台と悪い台があるようで、特にアメリカのRさんの台はブレーキが勝手になるという危ない仕組みだった。
サイクリングツアーの目的地は、約10キロメートルさきにある白沙という小さな村だった。道のりもきれいで、桂林とはまた違った美しい山景色が眺められた。途中でチベタンっぽい(?)お寺があり、見物していると、日本のSさんがさっそく遊び心を出した。
さらに進んでいくと、にんじんおじさんと遭遇。畑でにんじんをたがやしており、自転車で通り過ぎる我々を止め、にんじんを食べさせてくれた。とても美味しいにんじんで、とても素敵なおじさんだった。
白沙に到着すると、今度は漢方薬おじいさまに遭遇。なかなか有名なおじいさまみたいで、世界中からの客が来るらしい。漢方薬おじいさまは若い頃に大きな病気を抱え、その病気を自分で研究して治したという。それからはというもの、同じ病気を抱えた多くの患者を治しており、お金のない人に対しては何も請求せずに治療するらしい。漢方薬おじいさまは今89歳らしいが、信じられないくらい元気で、誇らしく自分の過去を話したり、日本やアメリカやヨーロッパからの訪問者が残して行った文章や記念品を見せたりした。
息子もおり、自ら日本語やドイツ語を勉強したらしく、なかなか流暢にしゃべっていた。健康茶をただで出してもらい、苦いながらもありがたく口に含んだ。
そろそろ他のところも見に行こうというときに、僕はどうしてもトイレへ行きたくなり、漢方薬おじいさまの息子さんに案内してもらった。トイレは別館にあるようで、歩いて数分のところにあった。トイレから出てくると、息子さんについてくるように言われ、別館の庭園らしきところへ案内された。そこには板に彫られた様々の外国からの訪問者のメッセージが飾られていた。
「ほら、日本やオランダのものもありますよ」と彼が僕を案内した。
実に様々なメッセージが記されていた。そして、彼はなぜかひとつひとつのメッセージを、まるでテレビのアナウンサーのような情熱的な声で口にしはじめた。日本語とオランダ語が終わったと思うと、彼が僕の手を取り「さあ、こっちですこっちです」と言って、今度は英語のものを見せ、またひとつひとつ声に出した呼んでくれた。
やっと本館に戻ってこれたときには、20分以上が経過したと思う。新しい友人たちが待ちわびていた。
「具合でも悪くなったとか?」とKさん。
その後は有名とされている麺屋さんで昼食し、心が落ち着くこの白沙の村をもうしばらく歩んでから、麗江までの帰り道に取り掛かった。
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